その国旗からも推測が容易だが、彼らのフットボールスタイルは隣国で人種・文化的な繋がりも深いアルゼンチンのそれに近い。
テクニック型が少なくパスを繋ぐ意識は極めて低いが、ボールに対する執着心が凄まじく体と体のぶつかり合いは基本中の基本。国内リーグは傍から見れば格闘技と錯覚するほどの喧嘩スタイルでライバル同士の試合ともなればレッドカードの乱発は日常茶飯事だ。それは人口が少なくタレントの発掘が難しいなか大国に対抗するべく彼らなりに知恵を絞った結果で、その育成は上から下まで徹底されており、近年はユース年代の国際大会で確実な成果を上げている。
それでも国土は日本の半分で人口330万人ほどの小さな国。1950年の『マラカナンの悲劇』によるワールドカップ2度目の優勝以後は大会の規模が大きくなるにつれ、なかなか結果を残せなくなっていた。その歴史ある伝統国を復活させたのが1987年に強豪ペニャロールをコパ・リベルタドーレス制覇に導き1990年ワールドカップではセレステ(ウルグアイ代表の愛称)を率いてベスト16を達成していたワシントン・タバレスだ。
“マエストロ”の愛称で親しまれるタバレスは2006年夏、2度目の代表監督に就任すると、モンテーロ、レコバらそれまでの中心選手からルガーノ、フォルラン、若きスアレスらへの移行を進め、攻撃偏重でバランスの悪かったチームを整えていく。そしてプレーオフの末にコスタリカを下して南アフリカ大会への出場を決めると、本大会ではフォルランの最優秀選手に輝く活躍によりベスト4を達成。翌年行われたコパ・アメリカでは1995年以来となる優勝を成し遂げ、ウルグアイを復活へと導いたのだった。