フランチェスコ・ココ

ミラン・プリマヴェーラ出身、3バックの左右とサイドバック、ウイングバックをこなすことから「マルディーニの後継」と呼ばれた。1999-00シーズンにレンタル先のトリノで評価をあげると2000-01シーズンにはミランへ復帰する。

ザッケローニ監督の元、1998-99左サイドのポジションで躍動し優勝の立役者だったグリエルミンピエトロからポジションを奪い、ブレイクした。翌年はバルセロナへレンタル移籍しイタリア人初のバルセロナ在籍者となった。

2002年のワールドカップにおいてイタリア代表へ選ばれると、当時日本で発売されたFIFA公認のビデオテープ(VHS)に中村俊輔と共に起用されるなど甘いマスクは実力以上に注目を浴びた。

だが、インテル移籍後、25歳を過ぎてからは毎シーズン怪我とリハビリの繰り返し。最後はブレイクを果たしたトリノへレンタル移籍したが、コンディションは戻ることなく30歳になったシーズンで引退となった。

驚いたのは「幼少の頃からの夢が2つあった。サッカー選手になるという1番目の夢は実現した。今後は2番目の夢であるハリウッドスターを目指す」と宣言したこと。だがその目標はすぐに潰えそのあとは自らの店を開いたり、テレビ中継において解説者を行っている。