平安山 良太(以下、平安山)

「えー、初めまして、なんですけれども、八木秀一監督は87年にはブラジル・コリンチャンスの下部組織にいらっしゃったという事で、去年までコリンチャンスの下部組織で指導者をしていた私としては、勝手ながらとても親近感があったりします。

コリンチャンスに限らず、当時のブラジルでプロ選手をされていて、ブラジルという国の指導にはどう感じていましたか?ブラジル全国1部アヴァイの同僚ブラジル人指導者に聞くと、90年代以前と今ではブラジルという国の指導者も全然変わってきていて、昔はアップしたらすぐゲーム、という繰り返しが多かったと話していました」

八木 秀一監督(以下、八木)

「初めまして。コリンチャンスに日本人指導者がいると聞いた時にはわたしもビックリしました。よろしくお願いします。質問の答えなんですけれども、いえ実はそうでもなくて、僕がいた環境は当時のブラジルでもアップした後には普通のトレーニングがあって、それからゲームもあるという流れでしたね」

平安山「あ、意外とそうなんですね!もしかしたらブラジルは広くて、当時はインターネットや交通手段などの面が今ほど発展してないはずなので、地域やクラブの特徴差が大きかったのかも知れません。アヴァイの本拠地は離島ですし。当時のアヴァイが特殊なのかも(笑)今はアヴァイもコリンチャンスもコーディネーション等のアップから、ポゼッションやシュート、フォーメーションなどのトレーニング、そしてゲームの流れが多かったです」

八木「コリンチャンスの施設とかどうなってます?僕がいた87年当時は土のデコボコグラウンドだった気が…」

平安山「あ、そこは今は天然芝と人工芝を両方持ってますね。あえての砂場グラウンドもあったり施設は充実しています。そこはかなり変化しているかも知れません。今は世界的に国際化が進んでいて、特にブラジル人はサッカーにおいては欧州を中心に、日本なども含め世界中に選手や監督が求められていて、そこから持ち帰ったメソッドをまた自国に還元するサイクルが出来上がっていて、変化の波が大きいとはブラジル人も認めています」

八木「僕がブラジルにいた当時は、ブラジルには才能ある原石がゴロゴロしていて、その原石を磨き上げ、スターにしていくのが上手かった、そんな印象があります。日本人に合う指導かは分からないですけど(笑) 1度練習試合で、相手のチームにまだ無名だった頃のロナウドがいた事があるんですよ。確かロナウドが16歳だったかな。18歳達の試合なのに、年下のロナウドが1人で3点決めて。彼のハットトリックで3-0で負けた試合がありました。なんだあいつは!?なんて話をしていたら、すぐに欧州へ移籍して、スーパースターになっていきました」

平安山「ロナウドと試合したんですか!?あんな一級品の原石と試合出来たなんて羨ましいです。イタリアはどうでしょう?よく言われる事では、細かい戦術が多い事で有名な国です。カルチョですね」

八木「戦術には細かいですね。監督の哲学があって、それが絶対、みたいな部分はありました。守備戦術なんかはとても厳しく指導されます。3人抜いてゴールを決めれるようなスター選手がいたら、それを大事にして、決められるならOK!なのがブラジルで、3人抜いてゴールを決めようが、監督の戦術とは違うプレーをすれば怒られるのがイタリアでしょうか」

平安山「それは面白い話ですね。両国のサッカー文化の違いがハッキリしていて興味深いです。八木監督はどちらのサッカーを琉球デイゴスの選手に伝えていこうと考えていますか?」

八木「ミックスですね。個人的にはスペインのサッカーも好きで、指導者になってから毎年スペインへ遠征に行ったりもしてました。戦術的ピリオダイゼーション理論の講習にも参加したり。色んな国のやり方の良い部分をミックスして、自分の指導法を作り上げていきたいです」

【次ページ】沖縄県全体で取り組んでいきたい課題とは