マリオ・デ・カストロ/元アトレチコ・ミネイロ/ブラジルFW(故人)

ミナス・ジェライス連邦大学で医学を学んでいた際に、アメリカ・ミネイロ入り。

だが、その数日後に道を隔てた隣のアトレチコ・ミネイロへ鞍替えし、その後はゴールを量産する活躍をみせた。

だが、チームのディレクターが相手ファンから射殺された後、それに抗議する形で26歳の若さで現役を引退

医師の資格を持っていたためその後は医療に従事し、1998年に92歳で亡くなった。