バルサをフルボッコ伝説

彼が欧州、いや世界にその名を轟かせたのは、ロバノフスキー時代のディナモ・キエフでのこと。

旧ソ連からの独立後、ディナモはウクライナ国内でこそ圧倒的な強さを誇るものの、国際レベルで活躍できるほどの力はなかった。しかし、シェフチェンコ&レブロフという“黄金の2トップ”を擁した1990年代の後半に大きな躍進を遂げる。

特に伝説となっているのは1997-98シーズンだ。ディナモはバルセロナを2試合合計なんと7-0で粉砕したのが、この時、聖地カンプ・ノウでハットトリックを記録したのが若き日のシェフチェンコであった。

この年、ディナモはベスト4という最高成績を成し遂げ、シェフチェンコもCLの得点王に輝いている。

ダービー強すぎ伝説

ディナモでの活躍により、1999年にザッケローニ監督が率いるミランにやってきたシェフチェンコ。

そこから数々の記録を打ち立てていくことになるのだが、彼は大一番にも滅法強く、宿敵インテルとの「ミラノ・ダービー」では実に14得点も記録した。

これは両クラブに在籍した伝説的FWで、スタジアムの名前にもなっているジュゼッペ・メアッツァ氏の13を上回る歴代1位の数字である。

今月、「calciomercato.com」が特集した「ミラノ・ダービー男トップ10」で、シェフチェンコは見事1位に輝いた。

CL決勝で○○を二度も経験した伝説

「CL決勝のPK戦」を二度も経験しているシェフチェンコ。

それだけでも十分に珍しいのだが、その内容は「決めて優勝」、「外して準優勝」という正反対のものだった。

2002-03シーズンのユヴェントス戦では冷静にGKジャンルイージ・ブッフォンの逆を突いてミランに6度目のビッグイヤーをもたらすと、2シーズン後の2004-05シーズンにも同様の状況がやって来る。

リヴァプールとのPK戦、シェフチェンコは先攻の5人目として登場。しかしその表情には覇気はなく、ほぼ正面に蹴ったボールはGKイェジー・ドゥデクに弾かれた。

このシェフチェンコの失敗により、リヴァプールの勝利が決定。0-3のビハインドから大逆転勝利を収めた「イスタンブールの奇跡」と呼ばれた伝説の一戦である。