――中学生の時に大きな変化が起こったわけですが、自分の中でも「あ、何か変わったな」みたいな感覚はありましたか?
いや、どうなんでしょ。この流れも偶然が重なっただけかなと思っています(笑)。
それなりに大きな大会で何点もゴールできて、そのきっかけで選抜に選ばれたパターンですからね。
でも、それでも京都でトップレベルというわけではなく、選抜に参加しても「居心地悪いな…」という感じでした(笑)。
――でも、高校の進学先はあの名門『滝二』(滝川第二高等学校)ですね。
はい。まぁ、そんな程度のレベルの選手だったので、当然、サンガのユースにいけるわけがない。でも、「選手権には出たいな」という気持ちは昔から強かったんです…。
そして、「選手権に出るにはどうしたらいいか」と考えたんですが、京都は「どこが出るかわからへん」という地域だった(笑)。
「京都で一緒にやってきた選手たちも追い抜かさな」とも考えていたので、じゃあ、「これは県外に行くしかない!」と。
その後は県外の高校を色々と調べましたね。それこそ、当時、めちゃくちゃ強かった国見(長崎県立国見高等学校)とかも考えました。で、最終的には『滝二』に行きついた感じです。
――その頃は『岡崎兄弟』が活躍した一つ前の時代でしたよね?
そうです。卒業後にジェフに入団したハヤシタケ(林丈統)さんが活躍した時代ですね。
あの人がエースとして得点王を取り、チームは全国ベスト4まで行きました。その大会を見ていた僕も「あ、ここに入れば、選手権は出れるんちゃうかな?」と。
それでこれも運が良かったんですが、中学のチームのコーチがセレクションに連れていってくれて、ギリギリで合格できました。