――となると、完全に『Jリーグブーム』の頃ですね。私もその時代を経験している人間ですが、子供たちが至るところでJリーグのマスコットが書かれた靴をこぞって履いていた頃が懐かしいです(笑)。

はい、まさにその時代です(笑)。ちなみに、自分はヴェルディ派だったかな(笑)。

ただ、本格的にサッカーをやり始めたとなると小学生からですね。

――「サッカー選手になりたい」という気持ちはいくつぐらいから芽生えましたか?

それは始めた時からありましたね。実はめちゃくちゃサンガファンだったんですよ。

まだJFLとかでやっていた頃から家族の影響で試合に見に行ったりもしていて…。

――『西京極(京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場)』をメインで使っていた頃よりも前のことですね。

そうです、そうです。

太陽が丘(京都府立山城総合運動公園)や宝ヶ池(京都市宝が池公園運動施設球技場)とかが多かった時代ですね(笑)。

――そこで「将来は自分もサンガに入りたい」と?

もちろん、強烈に!(笑)

ただ、当時の僕は下手くそなサッカー少年でしたから可能性はゼロでしたね(笑)。

小学校で入っていたチーム自体はかなり強いチームで、上手い子も多かったんですが、僕はそこにギリギリついていけるかのレベル。最後の大会も12番の背番号をもらって、「あ、終わった」と思いました(笑)。

――その気持ちはよくわかります(笑)。ジュニアって、公式戦までは背番号が入れ替わったりしますが、公式戦の『背番号渡し』で初めて自分の立ち位置が明確になりますもんね。

そうなんですよ。けっこう楽しみにしていたので、あの「終わった…」という感覚は今でも覚えています(笑)。ただ、それでも「サッカー選手になりたい」という気持ちは持ち続けていました。

で、それから中学生になり、京都市のクラブ選抜とかにも入るようになって、中二ぐらいで初めて地域のトレセンに入りました。