エドゥアルド・ストレルツォフ

クラブ:トルペド・モスクワ

出身地:モスクワ(現ロシア)

「ロシアのペレ」と呼ばれたストレルツォフは、ソビエト連邦が生み出した中で最も才能豊かなアーティストであった。16歳でプロデビューを果たし、1957年には20歳でバロンドール候補にもなった。バックヒールを得意としたテクニシャンだったという。

しかし1958年のワールドカップ前に女性をレイプしたとして告発され、12年の懲役刑を言い渡される。5年後に釈放されたあとはプロでのプレーが禁止されたために工場で働きながらアマチュアでサッカーを続け、その姿から彼を許すよう署名活動が行われたという。

その結果28歳でトルペド・モスクワへの復帰が認められ、再び代表選手として返り咲いた。ソビエト連邦でのプレーは38試合で25ゴールという成績である。