「チェフェリンはすぐにあらゆることをしてくれた。それ以上かもしれない。
解決策を求めて、真夜中に電話をかけてくれたんだと思う。
彼はまるで自分の子供かのように、我々の選手や家族のために立ち上がってくれた。
彼が誰に電話したのかは分からないが、我々は常に連絡を取り合い、彼はどんなことをしてでも解決策を見つけると断言してくれた。
(会長への電話から一日半後、状況は悪化するだけなので出国したほうがいいと再度伝えられた)
車でハンガリーに向かった。ただ、チェフェリンはまだ外国人たちの問題を解決できないでいた。
私は電話をかけて、どうなっているのか、このドラマはいつ解決するのかを尋ねた。
すると、チェフェリンは解決策があると言い、選手と家族たちをウクライナから出国させると約束した。
その約束を聞き、会長とブラジル人のモラエスとで直接話をさせた。彼は英語が堪能だから。
およそ18時間後、チェフェリンから、ブラジル人と家族を列車で安全な場所に連れていくと連絡があった。
さらに、10時間後にはイタリア人たちにも国境までの列車が用意できたと連絡があった。それで、彼らは月曜朝に帰国することができた。
私もとても落ち着いた状態でハンガリーに到着することができた」
「チェフェリンにとって、小国(スロベニア)からUEFA会長の座に辿り着いたことが人生最大の出来事ではない。
その最大の功績は、彼が偉大な男であり、人々が彼を本当に必要としていたこの壮大なドラマのなかで偉大さを示したことだ。
我々はそれを絶対に忘れない。
シャフタール、ウクライナサッカー連盟、ウクライナ全体も全て善良な人達だ。
全てにおいて重要な役割を果たしたのは、ウクライナサッカー連盟のアンドリー・パヴェルコ会長だ。
常にチェフェリンを助け、独自の解決策も模索してくれた。
全ては数日間のドラマだったが、こういう状況では1秒が1時間のように感じる。
とはいえ、UEFAをチェフェリンが指揮していることをとても光栄に思う」
ウクライナ脱出のために「助けて」と涙…シャフタールSDが一生感謝するUEFA会長の秘話
Text by 井上大輔(編集部)
神奈川県出身。もともとは野球小僧だったが、1998年W杯をきっかけにサッカーにも熱中。ウイイレなどのサッカーゲームにも、ドはまりした。好きなリーグはよく見ていたリーガ・エスパニョーラ。
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