――酒井宏樹選手はハノーファーに加入してすぐに「このままじゃヤバイ」と思ったそうです。それまで攻撃的な部分もあったんですが「とにかく対人を磨いた」みたいな話をされていて。細貝選手はドイツで最初にプレーした時の感触などはいかがでしたか?
最初に馴染むまですごく時間かかりました。僕は最初2部のチーム(アウクスブルク)に行ったんですけど、チームは常に2部の上位にいたので。上位にいるってことはある程度試合に勝ってるチームだったんですよ。
僕は日本代表で2011年のアジアカップを戦ってから遅れて合流したので、実質いたのは後半戦の数試合終わってから最後の数試合なんですけど。アウクスブルクに合流して最初はなかなか試合に出られなかったのでやっぱり難しいなと思いましたね。
もちろんサッカーも日本とは全然違います。日本よりもどちらかというと個で解決していく。対人もそうですけどチームでカバーするとかテクニックでどうするというのではない。そこへの順応というのはしなきゃいけないと思っていました。
でも僕はどちらかというと日本でも対人とかそっち系でやっていたので、「自分のストロングポイントを出していく」というところには意識して取り組んでたなと思います。
――そのアウクスブルクではヨス・ルフカイ監督との絆があってその後のいろいろなキャリアに繋がったとうかがっています。細貝選手にとってルフカイ監督とはどんな存在ですか?
ルフカイ監督がいたから僕のヨーロッパの時間はあると思っています。
例えば最初アウクスブルクに入って「通訳欲しいな」と思った時もありました。最初は本当に1から10の数字を数えられないくらい、ドイツ語が全く分からなかったので。でもルフカイ監督は僕に対して「通訳は付けたくない」と。付けたくないというか「分からなければ理解できるように英語でも言うから」と。それが僕にとってもいいという話をずっとしてくれて。
ドイツで2年, 3年, 4年, 5年とやりたいのであれば通訳はなしにして、最初は苦労するけど自分の力でドイツ語を学んでいったほうがいいと言ってくれてたんです。最初は「えっ」と思ってました。でも結果的にはホントに通訳いないでやってて良かったなと。そういう面も含めてルフカイ監督はすごく自分のことをケアしてくれてたなというのは感じましたね。
――そのままアウクスブルクで1年半プレーされてレヴァークーゼンに戻りました。そこでレアル・マドリーのカルバハル選手とプレーされていますね。
僕らは『ダニ』って言ってるんですけど、ダニはレアルのカンテラ…2ndチームから(レンタルで)来てました。
彼は僕のちょっと後に来たんですよ。同じ時期なんですけど僕は最初からいて、彼はシーズン練習がスタートして移籍マーケットがまだ開いてる時に来たので僕よりちょっと後だったんです。
彼はスペイン語オンリーでドイツ語は喋れないし、英語もそんなに喋ることができませんでした。だからチームが用意する家庭教師からチリ代表の選手、ブラジルの若手の子、カルバハルと僕で一緒に学んで。僕はもう1年半いたんでコミュニケーションはだいぶ取れてたんですけど「僕もやりたい」って話をして参加しました。
僕が知ってるものは彼に教えてあげるというような感じで生活してましたね。
――そんな彼がプレーするスペイン代表と2022年ワールドカップで日本代表が対戦しました。何か感じるところはありましたか?
1年間レヴァークーゼンでプレーして、コンスタントに右サイドバックでやってて「素晴らしいな」と思っていました。
彼がシーズン終盤に話してたのは、(当時レアルの)監督がモウリーニョか誰かだったんですよ。「モウリーニョの場合だったらレアルには戻らないかも」みたいな話しをしてて。「そうなんだね」なんて言ってたら、結果ジダンか誰かに代わってレアルに戻ったんですけど。
当然レアルでプレーしてる姿を見るじゃないですか。コンスタントに試合に出ていたので。ちょっとドイツ語を教えたヤツがレアルでスタメンで試合に出て、チャンピオンズリーグを獲ってとか。だから日本代表とやった試合でどうというよりは、(カルバハルに対して)「あぁ、全然違う世界にいるな」というのは思いましたね。