――ドイツではシュトゥットガルトでもプレーしましたが、同クラブでは現在遠藤航選手が「デュエル王」として活躍されています。彼のプレーを見て感じるところはありますか?

当然彼のことも知ってます。彼も僕がいたクラブにいるわけなので。彼の浦和時代に一緒にご飯に行ったこともあるし、色んな縁がある中で本当に素晴らしいなと思います。

僕はどちらかというと彼みたいなタイプですが、正直に言って『あのレベルまでは到達できなかった』人間なので。シュトゥットガルトみたいなああいうヨーロッパの名門でキャプテンマークを付けて、年間に数試合は必ず点を取る。日本代表でもキャプテンマークを付けてボランチの主力を務めている。

僕の頃は基本的に長谷部(誠)さん、ヤット(遠藤保仁)さんという主力がいて、その後に(山口)蛍、中村憲剛さんとか4年間でたくさん素晴らしい選手たちいて(ポジションを取れなかった)…。だから彼に関しては見ていて本当に凄いなというのは感じますね。

――アウクスブルク、レヴァークーゼン、ヘルタ・ベルリン、シュトゥットガルトと4チームでプレーされました。ドイツでのプレーで感じたことだったり掴んだものはいかがですか?

僕はブンデスで100試合ちょっとの出場数なんですけど、ヨス・ルフカイ監督と一緒に仕事できたのはかなり僕にとっては大きかったです。監督と選手の信頼感というのは、改めて選手にとってすごく重要なんだなと感じることができました。

例えばヘルタ・ベルリンの2シーズン目の途中にルフカイ監督が解任になるんですが、そこから僕はぱったりチャンスがなくなったんです。選手は『新しい監督が来る』となった時に当然同じようにスタメン取れるように頑張ろうと思ってやります。でもいざそういう立場になるとなかなか思うように自分のプレーがいかなかったりもする。でもヨス・ルフカイ監督の時は、なぜか自分のやりたいことだとか自分の特徴がよく出ていました。

分からないですけど「監督から信頼されてるな」というのを感じてプレーしてるのとそうじゃないのとでは選手を全く変えるなと。それは4年間ドイツにいて、途中トルコも挟んでるんですけど感じることができました。

――今おっしゃられたトルコではブルサスポルでプレーされています。ベシクタシュ戦ですかね、ポルトガル代表のクアレスマと乱闘みたいな騒動があったと思うんですけどあれの経緯というのは?

ブルサスポルとベシクタシュは一応ライバル関係のチームなんです。その試合はベシクタシュのホームで、新しいスタジアムができて一発目の試合で。

なおかつライバル…ブルサスポルからするとライバルという感じの敵でシンプルにファールも多い試合でした。そういう中で、最後に僕が強くいったところで報復というか、(クアレスマが)倒されてすぐ立ち上がって走ってきて…という感じでした。

その試合で僕は最後の最後に退場して…クアレスマも退場したんですけどね。