デル・アリの父ケニーと母デニスは息子が生まれてから3年後に破局。
技術エンジニアだったケニーはデモントフォート大学で学士を取得した後、7歳だったデルとともにナイジェリアに帰国したとか。親族はこう主張している。
「デルは誰かの養子になったことは一度もない。
7歳の時にはナイジェリアのラゴスにある最高の学校のひとつに通っていた。
しつけのためにアフリカに送られたことも決してない。真っ赤なウソだ。彼には毎日学校に送り迎えをしてくれる運転手がいた。
デルが生まれてから父親と一緒だった全ての書類や写真がある。彼は洗脳されている。
私たちは学歴を持って、ナイジェリアから英国に渡った。苦労したが、自分たちは英国のIT業界の先導者だと言える。
ケニーは息子をナイジェリア中に連れて行った。私たちはいまの自分たちになるために懸命に働いた。誰もデルを罰としてナイジェリアに連れて行ったことはない。
(ナイジェリアに帰国して数年後、父は別の女性と再婚してアメリカへの移住を決断。当時デルは11歳だった)。
ケニーは息子を英国にいる母親のもとに連れて行くことに決めた。アメリカで落ち着いたら、彼を引き取るつもりだった。
(13歳の時に別の家庭に引き取られた経緯については)
デルは生まれた時からサッカーが大好きだった。彼はピックフォード家に狙われていた。
ピックフォード・アラン、サラー、そして、息子のハリー(デルの元チームメイトで、現在は代理人)。
(ある水曜日、デルの母からケニーにピックフォード家がいつものように息子を送ってこないと連絡が入り)
ケニーがすぐにピックフォード家に電話すると、デルを家に泊めるのを許してくれないかと懇願してきた。
居心地はよかったし、彼らの息子はデルの友達だったから、ケニーはそれに同意した。ピックフォード家がずっと計画を練っていたとは知らずにね。
そのうち、毎週水曜はそれが恒例になっていった。そうやって、彼らは何をするにもデルをグルーミングし始めた。
彼がしつけのためにナイジェリアに送られたことは一度もない。
彼は8歳でドラッグをやり始めたと言っているが、その頃はナイジェリアの私立学校に通っていた」
デル・アリが法的な養子縁組をされたことはないとのこと。
親族は本人が感謝している里親一家に洗脳されていると考えているようだが…。