全盛期に引退を選択

――クロアチアのキャリアの経緯が予想外過ぎました。

クロアチアでは3部リーグを渡り歩きました。どんどんキャリアアップして、最後はクロアチア2部NKトルニェという首都ザグレブにあるクラブでプレーして現役を終えました。

そこでのキャリアが1番リーグのレベルも高かったし、レベルが高い中でも自分が1番活躍できた場所でした。

28歳で引退を決意しました。僕は自分のキャリアの中で1番いいときに、(キャリアで)1番実力が高いチームの中心になって、実力も発揮したところで自分のサッカー(選手)人生を終えたんですよ。

――キャリアの絶頂で引退されたんですね。なぜそのタイミングだったんですか。

なぜなら僕の中で「28歳になったときに、日本代表になれてなかったら辞める」と決めていたからです。

だから5カ国を渡り歩いて、自分の中でサッカー選手生活をやり切ったという充実感がありました。クロアチアの2部で活躍するまでが自分の限界だったんですよね。