水戸ではっきりしたこと

2021年に水戸ホーリーホックに完全移籍。水戸ではその実力を発揮し、空中戦、球際で圧倒的な強さを見せてJ2屈指のセンターバックへと成長を果たした。そして、ここで掴んだものはプロサッカー人生を生きる上で貴重な糧となっている。

――2021年に水戸ホーリーホックへ完全移籍しました。加入の経緯を教えてください。

シーズンが終わる2週間前くらいに水戸がオファーを出してくれました。もう1つ(別の)クラブから声をかけてくれていたんですけど、同じ時期に水戸が「オファーを出す」と言ってくれました。シーズンが終わる前にオファーをいただけるなんて選手として光栄ですし、そこで水戸に決めました。

――水戸所属時はSNSを見ていると角刈りヘアーが話題になった時期もありましたね。

俺は本当にやりたいことをやるというスタイルなので、それで楽しんでくれる人は一緒に楽しんでくれたらうれしい。俺は結構面白いこととかみんなが「ちょっとオモロイな」と思うことをやるのが好きなんです。みんなを楽しませるのが好きなのかな。みんながうれしい、楽しいと言ってくれるとすげえうれしいので。それがちょっとプチ広まりしたくらいですかね(笑)。

――また『note』での発信もそういった想いから書かれているのでしょうか。

『note』は自分の記録という感じですね。結構メモとか日記とか書いているんですけど、『自分を作る過程』で大事なことだなと思っています。文字にして自分の考えを吐き出すことによって人格が形成されていきます。究極ですけど、「何で生きているのかな」となってきたときにそれがいつか自分にヒントをもたらすんじゃないかと信じて毎回書いています。

その延長線上として、あまり奥深くは発信しづらいけど、表面の部分をみんなに楽しんでもらえたら。「サッカー選手の俺はこんなことを考えているんだよ」と。何かちょっとでも興味を持ってくれたらうれしいなと思って書いています。

――水戸で充実した期間を送られたと思います。3シーズンを振り返っていかがでしたか。

個人的には42試合全部フルで出て『1年でJ1に行く』という予定だったので、2、3年目となったときに自分の中で焦りがありました。それなりの違約金も設定していたので、「これでJ1のクラブに買い取ってもらって水戸にお金を残す」がそのときの目標でした。それが毎年オファー頂いていたんですけど、J1でめっちゃ大きなお金というわけじゃなくて…。J2上位のチームでもお金も設定した金額分ぐらいだったので、「それじゃ行かないな」と思っていました。3年間、僕的にはもっとインパクト残したかった。すべてにおいてJ2で「この人圧倒的だな」と思われる存在になりたかったんですけど…、そうなれなかったことがちょっと悔しい3年間でした。

その一方で、水戸では色んな価値観や『自分がなぜサッカーをしているのか』と自分がサッカーしている理由というのを改めて再確認できました。『誰のためにプレーするのか』と『何のためにプレーするのか』というのは水戸にいたからこそはっきりしたんじゃないかと思います。

西村GM(※西村卓朗。2019年9月から水戸GM)をはじめクラブが全面的に信頼してくれていることが1番良かったです。西村さんからの信頼がすごく自分の中では大きな原動力になりましたし、それがすごくうれしかったです。

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