ヨーロッパの舞台に挑戦する日本人選手は年々増加の一途をたどっており、その年齢もどんどん低年齢化している。

当然ながら成功を掴めない選手も増えているが、彼らの中にはヨーロッパに残り、そのままずるずるとキャリアを後退させてしまう選手もいる。

そうした選手は、もしかすると日本への帰国を「失敗」と捉えているのかもしれない。しかし過去には日本へ復帰し、Jリーグで大暴れすることによってヨーロッパ再挑戦を掴んだものもいる。

日本復帰は失敗ではなく新しいチャレンジーーそうなることを願い、ここではそれを証明した選手たちをご紹介しよう。

大久保嘉人

ヴォルフスブルク時代の大久保

一度目:マジョルカ(2005-2006)
二度目:ヴォルフスブルク(2009)

現在タレントとしても活躍する大久保嘉人は、高校サッカー界のスターであり、日本代表として2大会ワールドカップに出場した。

そんな彼はセレッソ大阪でのプロ入り後、アテネ五輪での活躍がきっかけとなり2004年11月にマジョルカへ期限付き移籍を果たす。初戦でゴールを決める華々しいデビューを飾るなど、スペインで最初にインパクトを与えた日本人となった。

その後ケガや監督交代もありセレッソへ復帰することになるが、2007年に加入したヴィッセル神戸では2シーズン続けて2桁ゴールを記録。日本代表に復帰を果たすと、2009年1月には鬼軍曹フェリックス・マガト率いるドイツのヴォルフスブルクへと移籍した。

ただ当時のヴォルフスブルクはエディン・ジェコ、グラフィッチというリーグ最強の2トップが君臨していたため、チームは初のブンデスリーガ制覇を成し遂げたが大久保は控えにとどまっている。

宇佐美貴史

リベリに可愛がられた宇佐美

一度目:バイエルン(2011-2012)
二度目:アウクスブルク(2016-)

ガンバ大阪ユースの最高傑作と言われた宇佐美貴史は、17歳でトップデビューをすると、20歳を迎える前の2011年にはドイツ最強のバイエルン・ミュンヘンと契約を結んだ。

しかし時はロッベン&リベリ、いわゆる“ロベリ”全盛の時代であり、若い宇佐美に出番は訪れず。ホッフェンハイムへの期限付きを経て2013年には当時J2へ落ちていた古巣のガンバへと復帰する。

そこで溜まっていた鬱憤を爆発させるかのように、半年で19得点(18試合)を決めてJ2優勝と1年での昇格に貢献。翌2014年には公式戦21点を記録し、2000年の鹿島アントラーズ以来となる国内三冠の立役者となった。

2016年6月にはアウクスブルクへ移籍し、自身二度目となるヨーロッパへの挑戦を果たしている。