フリスト・ストイチコフ(元ブルガリア代表FW)

1994年W杯の得点王であり、同年のバロンドール受賞者でもあるストイチコフ。この短気なブルガリア人は、“The Dagger(短剣)”という仇名を輝かしくない監督キャリアにも持ち込んだ。

かつて「戦術は信じない」と宣言したこともあった彼はしばしば選手たちと衝突。母国ブルガリア代表を率いた3年間の間、2006年W杯とEURO2008の本大会出場へ導くことに失敗した。その後、セルタやCSKAソフィアでも在任期間は短命に終わっている。

ボビー・ムーア(元イングランド代表DF、故人)

イングランド代表のキャプテンとして1966年W杯優勝に貢献した伝説的DFムーア。

1977年にイングランド代表とワトフォードの監督になれなかった後、1980年にオックスフォード・シティで指揮官に就任。その際、アシスタントはハリー・レドナップであった。

その後、香港で短期間の指揮を執った後、1984年にサウスエンドの監督として母国に戻ってきた。初年度は財政難により危機的状況にあったが、2年目は建て直し9位でフィニッシュした。その後は監督の座をデイヴィッド・ウェブに譲り、自らは幹部職に退いた。