ボールを持たない1対1の中で、いかに相手の背後に向けて大きな矢印を出しながらマークを外すかという部分が講習におけるベースとなったが、4人のうち残り2人は常に「キャッチボール」を行っており、1対1の受け手側の選手は味方との呼吸を合わせながら動き出す必要がある。
そしてこれが、実に難しい。
まず、出し手側が複数であること。さらに、通常集団の中でプレーしている場合は複数の選手が関わるためスペースの揺らぎが大きく、ある意味“外しやすさ”があるのだが(ドリブルで1対1よりも1対2の方が守備側に隙が生まれやすいのと同じ)、1対1のガチンコ勝負ではこの揺らぎに頼ることができず、純粋に動きのタイミングと質が問われる。
筆者と同じグループには大学生のプレーヤーがいたが、彼らもキレのあるステップですばやい動き出しを見せる一方、味方のパス交換と呼吸を合わせることには苦労していた。
そしてそれは、日本サッカーが抱える課題の一つでもある。
日本人選手の取り柄として豊富な運動量が取り上げられることは多々あるが、その質について、総合的に触れられることは少ない(せいぜい一つか二つの局面における動きのみ)。走行距離という便利なデータが一般化したこともあり、「走れば走るほど良い」といった風潮すらある。
ただ、本質として大事なのは、1試合トータルにおける動きの質であり、動きすぎることはマイナスにもなりえる。そこは誰より、実際にプレーしている選手たち自身が常日ごろ感じている部分に違いない。
個人的な印象を言えば、日本人選手は総じてスペースに入るのが早く、逆に次のポジションを見つけるのが遅い。その結果、無駄な動きが多くなる。フットボーラーとして大事なのは「早くもなく遅くもなく、ちょうど良いでタイミングで“そこ”にいること」であり、そのために必要なのは第3回のレポートでもお伝えした、「身体よりも先に頭が動いていること」。これがクリアできてこそ、相手を外しながら出し手側とうまく「待ち合わせ」をすることができるのだ。
身体の方が先に動いていても見た目には活動的で良いプレーヤーだと感じられることもあるだろう。運動量が多いというのは基本的には長所だ。ただ、その質についての“こだわり”が日本ではまだまだ足りないと、今回の講習を受けながら強く感じた。
内藤氏も「今回の『外す』はすべての技術が必要になるため、一番難しい」と語っており、トレーニングでは途中、1対1の守備側がただ立っているだけという制限を入れ、出し手と受け手の関係性のみに絞った形で相手の外し方について伝えていた。
ちなみに、講習の中でも語られていたが、『外す』の基準は絶対的なものではなく相対的なもの。要するに、バルセロナであれば一瞬生まれたちょっとしたスペースでも、彼らにとっては自分のプレーが出せる状態であり、チームや個人のレベル次第となる。
思えばトラウムに参加するきっかけとなった大久保嘉人のブラジルW杯での動きも、この『外す』という部分の質の高さが目を引いたように感じられる。だからこそ彼は今年、2年連続のJ1得点王にも輝いたのだろう。