デコ
「(デコという名前はいつ、どこから来たの?)
ずっとそうだよ(笑)うちの叔父がそうだったからね。
(お気に入りのゴールは?)
おそらく、ポルトの時に決めたベンフィカ戦でのゴールだ。フリーキックでね。我々は失点して0-1で、その後1-1に追いついた、その後フリーキックを得て、トップコーナーに決めたよ!
(10代でポルトガルに来た時は?)
今のように情報がなかったので難しかったね。どんな所なのかも知らなかった。ポルトについては多少知っていたけど、ポルトガルはね。そこで祖父が生まれたということだけで、最新の情報ではなかった。
僕は19歳で、ベンフィカに行ったと思ったら、突然アウヴァルカに――小さなクラブに送られた。最初は難しかったよ。でも多くの友人が出来て、皆が助けてくれた。
(欧州に行きたかった?)
僕はコリンチャンスでブラジルでのキャリアを始めたが、自分の未来を決めることはできなかった。監督は僕に『君はポルトガルに行く必要がある』と話したが、決断はできなかった。
当時はブラジル残留に傾いていたとは思うが、移籍したのは自分のキャリアにとって最高の選択だったと後で判明したよ。
(最高の瞬間は?)
いろいろな思い出があるから、選ぶのは難しい。しかし、ビッグタイトルを取ることは、ファンにとっても大きな意味を持つからね。
ポルトでは、ほとんどのファンがチャンピオンズリーグの勝利を知らなかったから、それを手にしたことは驚異的なものだった。
バルセロナでも同じだ。僕があそこに行ったときには、最後の優勝から6年間が経っていて、ファンはタイトルを獲りたがっていたことを覚えている。チャンピオンズリーグも1992年が最後だった。
チェルシーではそれが4年だった。2度全国選手権を獲ったフルミネンセでは、以前の優勝は25年前で、若いファンはタイトルを一度も見たことがなかった。
(あの時のポルトの選手が残っていたら?)
我々は若かったし、モウリーニョもそうだったね。もしバルセロナ、マドリー、マンチェスター・ユナイテッド、チェルシーのように選手を売る必要がなければ、もっと国内外のタイトルを取り続けられたかもしれない。
我々は本当に強かった。しかし、もちろんポルトは選手を売る必要があったんだ」
デコが世界中からの質問に答える!貴重なロングインタビュー
Text by 石井彰(編集部)
カズに憧れて全身赤のスーツを買ったことで校内一の人気者になったが、中身が伴わず一発屋で終わったというエピソードを持つ島根県出身のエディター。その影響か赤いチームを好み、ヴァランシエンヌ、レイションエス、ノッティンガム・フォレストなどを応援している。
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