ベニ・マッカーシー(南アフリカ)

2000年のシドニー五輪、1999年のワールドユースで準優勝をしたメンバーにその上の世代が絡んだ日本代表は黄金世代と呼ばれた。

小野伸二を怪我で欠いたものの、中田英寿、中村俊輔、稲本潤一らそうそうたるメンバーは五輪での上位進出の期待感を持つには十分すぎるものだった。その日本をひやりとさせたのが初戦の南アフリカ戦である。

日本はブラジル相手の勝利は可能性が高くないことから、スロバキア、南アフリカを相手にどれだけ勝ち点を稼げるかが焦点であった。しかし、初戦の南アフリカも侮れないチームであった。

マンチェスター・ユナイテッドでプレーするクイントン・フォーチュンに注目が集まったが、後にウディネーゼ入りするシヤボンガ・ノンヴェテ、そして何より怖かったのが当時セルタでプレーしていたベニ・マッカーシーである。

当時日本テレビのアナウンサーだった船越雅史が実況を担当し、この試合で「実況アナ」として自分の地位を確立したが、それだけ壮絶な試合であった。

マッカーシーがボールを持つたびに、ただ単に船越アナが「マッカーシー」と呼ぶだけで、そのドリブル突破から得点を連想させるシーンが作られる恐怖に身がすくんだものだ。

日本は高原の2ゴールで先制されながらも逆転勝ちをおさめるのだが「一人の凄い個」に組織がもろく崩れていくシーンは試合結果以上に冷や汗をかき、何度恐怖におののいたか…今でも忘れられない1シーンである。

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