中村 俊輔(2002年大会)

記念すべき地元開催だった2002年における落選と言えば中村俊輔に他ならない。

左サイドから名波浩とのコンビでトルシエ政権中期の攻撃サッカーを支えたが、本大会が近づくにあたって徐々に出番が減少し、ついに本大会ではメンバーから離れてしまった。

しかし、この挫折がジーコジャパンにおいてエースとなった中村俊輔を作り上げたともいえる。

その後、2006年と2010年とW杯2大会に出場。44歳になった今シーズンまでプレーを続け、生けるレジェンドになった。