そんな後輩のプロ入りに、先輩も喜んでいる。嵯峨は「健翔は本当に狭いスペースでのプレーがうまいと思います。昨シーズンの福島ダービーで戦ったときも厄介でした。また戦うことが楽しみです。来季はともに福島を盛り上げていきたいです」とエールを送った。追いかける粟野、突き進む嵯峨。福島ダービーでの再戦を互いに渇望していた。

だがプロ入りまでの道のりは困難なものだった。大学1年の冬、ベガルタ仙台ユースとの練習試合で右ひざ前十字靭帯完全断裂と選手生命が危ぶまれる大ケガを負った。

「あのときは、寒かったですね。筋トレして疲労が溜まっていたと思います。5分5分のボールから相手のスライディングをよけて着地した瞬間、(靭帯が切れた)音が聞こえたので、終わったと思いました」と粟野。育成年代で日本代表に選ばれた俊英の未来に暗雲が立ち込めた。

モンテディオ山形の選手も診察を受けているという山形県内の病院で治療を受けてリハビリに励んだ。「リハビリも楽しくやれていたから、復帰するまではネガティブではなかった」と気丈に振舞うが、大学2年の3月に復帰を果たすほど長い時間を要した。

復帰後は再発のリスクに悩まされた。「復帰して自分のひざじゃないって感じがしました。敵がいる(コンタクト)スポーツですから再発が怖かった。もう敵にパスを出すぐらい怯えていました」。復帰後も小さなケガを繰り返し、Iリーグの全国大会出場も逃した。

ケガと復帰を繰り返して、定位置を奪取できなかった。「大学4年になって(卒業後は)サッカーをしないと思っていました。ちょっとずつ就職活動を始めていましたからね」と振り返った。次第に目標のプロ入りも諦めるようになった。

憧れの舞台に辿り着けないと諦めていた矢先、思わぬチャンスが舞い込んできた。福島ユナイテッドから練習参加の打診が届いた。「たまたま人数が足りなかったから呼ばれたと思うんですけど、あのとき呼ばれて良かったといまでも思います」と周囲を驚かすようなキレのあるチャンスメイクと技術の高さで強化部の目に留まった。