それでも粟野のチャンスメイク能力や、機を見てしかけるドリブルは光るものがあった。

中学1年次のナショナルトレセンへの推薦を機に、中学2年次はU-14日本選抜に選出された。「(U-14日本選抜は)最初の集合場所が大阪のJ-GREEN堺だったんですけど、緊張しすぎて昼ご飯を食べられませんでした(苦笑)。ネットとかで知っていたJ下部の選手たちがいて怖いなと思っていました」と粟野。日の丸を背負う精鋭たちに圧倒されていた。

その中でもFC東京U-15むさしの平川怜(現J2ロアッソ熊本)、セレッソ大阪U-15の鈴木冬一(現スイス2部ローザンヌ・スポルト)は別格だったという。「あの二人は次元が違いました。まず平川はボールを取られないし、中盤から一人で全部持っていけるから、イニエスタを見ている感じでした。冬一は小さいけど、フィジカルが凄すぎてゴリゴリといける。あのときにはほぼ完成されていたと思います」

代表ではW杯カタール大会に出場した久保建英(現スペイン1部レアル・ソシエダ)ともプレーした。飛び級の天才は育成年代でも別格の存在だった。

「久保建英はメンタルが相当強いなと思いました。ウズベキスタン遠征に行ったときに、得点を取れなくてめっちゃ泣いていたのを覚えています。僕はみんなすごいから尊敬の感じでプレーしていました。でも久保建英は俺がやってやるというメンタリティだったから、その時点で自分との差はついているなと思いましたよ。(当時から)パス、ドリブル、判断も凄かったけど、いまは守備も上手くなった。やばい選手だと感じましたよ」

その後も粟野はU-15、U-16日本代表に選出されるも、公式戦のピッチには立てなかった。

ユース昇格後は優れた攻撃センスでチームのチャンスメイクを担ったが、課題のフィジカル強化にも励んだ。「毎年監督が変わっていった」と3人の監督から指導を受けた。高校1年次は越後和男監督から走力強化をメインに走り込みを指導された。「当時はなんで走れと言われていたか分からなかった」と振り返るも、後に走力の重要性に気付いたという。