高校2年次は後にトップチームを率いた原崎政人監督が指揮を執り、ポゼッションスタイルのサッカーを学んだ。高校ラストイヤーとなる3年目は壱岐友輔監督の下で指導を受けた。
「壱岐さんは高体連かって思うぐらい走りました(笑)。1週間走るだけの週もありました」
走っている途中で肉離れになった選手もいたほど。また泉区内のダム周辺を走り込み、約200メートルの坂道ダッシュを10本に、60分のハーフゲームもこなした日もあったという。それでも「当時は超嫌でした(苦笑)。いま思うと走れるようになったから、あの時走って良かったです」と感謝を口にしていた。
さらに食事トレーニングも過酷なものだった。寮の食事は朝400グラム、夜800グラムの白米を平らげなければならなかった。「ご飯を盛るときは量りがありまして、コーチがしっかり800グラムのご飯を食べたか確認していました。ただユースではかなり走っていましたので、その分食べて強くなれました」と粟野。弱点だったフィジカルの強さや体力面などをユースで改善した。
ユース時代は世代別代表にも選出された技術の高さはプロも評価していた。トップチームの練習に参加して、プロの選手たちと汗を流すこともあった。
中でも印象的だった思い出は、プロ選手たちの姿勢だった。「水野晃樹さん(現J3いわてグルージャ盛岡)、六反勇治さん(現J1横浜FC)、石川直樹さんは人間性が素晴らしかったです。僕のような高校生に声をかけてくれて、気遣ってくれました。あと茂木(駿佑)くん(現J3愛媛FC)も挨拶したら返してくれますし、スパイクも頂きました。(デビュー戦の)愛媛戦でも挨拶しましたよ」と振り返る。
トップチームの練習参加で、ユース生に冷たく当たる選手も珍しくないJリーグの中で、誰に対しても気さくに声をかける選手たちの人間性に粟野は憧れの感情を抱いた。
「姿勢がかっこいいなと思いました。自分もプロの立場ならそういったかっこいいことをしたいなと思いましたね。大学では後輩からイジられていますけど、先輩らしくしていない方がいいかなと(笑)」
高校で抱いたプロの姿勢をいまも粟野は大切にしており、誰に対しても謙虚で誠実な姿勢は先輩、同期、後輩問わず仙台大サッカー部で慕われている。