毎週木曜日に『DAZN』で配信されている「内田篤人のFOOTBALL TIMES」。

今回の番組では、内田篤人がかつてプレーしていたシャルケ04を再訪するという企画。盟友でもある吉田麻也が所属しているクラブ、そしてかつて住んでいたゲルゼンキルヒェンの街をレポートした。

内田篤人はワールドカップを目前に控えた2014年2月、ハノーファー戦で右足を負傷。それ以降ずっと怪我との戦いを続けるキャリアとなってしまった。

その際の写真がスタッフから渡されると、怪我の記憶について以下のように話していた。

内田篤人

「試合も勝ってたし、最後にドリブルで中へ入っていって、敵をかわして…股抜きかなんかしたんだよね。

そして、ちょっと伸びて着地したときだったかな。ワールドカップ前で、『縁がないな』と思ってた。これはマジで痛かった。

ただの肉離れだと思ってたから、次の日行ったらトレーナーから『ここの腱がない。ちょっとMRI撮ってこい』と。そしたら断裂だって。

『手術しよう』と言われたけど、W杯には間に合わないと言うから『ちょっと待ってくれ、一回日本に帰らせてくれ』って。バレンタインの日に東京へ戻った。

ここが俺の一番の怪我のスタート。ここから膝が悪くなった。全部こいつから来てる。ここからバランスが崩れたな。W杯もある程度無理したからね。

W杯の前、指宿での合宿のシャトルランで膝がグキッとなったんだけど、コンディションを上げるための合宿だったから無理してやったんだよね。

でも大会に出られたのは良かったよ。2010年は出られずに終わって、次は絶対に出ると思って迎えたから。この時の代表も強かったよ。人気もあったし。

ここ(怪我の日)までは順調に来てたかな。この怪我をして、ごまかして頑張ってはいたけど、下がっていったね。

治療はしていたけど、時間をかけて休まないと治らない怪我だった。骨化といって、靭帯が骨になっていっちゃう。元祖ロナウド(ブラジル代表FW)のように、引退する怪我になるから気をつけなさいと言われていた。

俺も骨化してた。どんどん靭帯が骨になると、切れやすくなるし、伸びも無くなる。だんだん固くなるのはなんとなく分かっていたけど、しょうがないよね」

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そして、引退に至った流れについては「やっていくうちに身体がだめになっていく。膝じゃないんだよね。もも裏も別に大丈夫だけど、身体が動かない。ジャンプが飛べない、ターンが遅い、ストップができない、そして回復が遅くなる。歳のせいというよりは、リハビリ期間に落ちたね」と話していた。

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