そんな近未来のJリーガーを多く擁するチームで、吉武は3年時にエースナンバー「10」を背負う。夏のインターハイはベスト16に止まったものの、12月には高校年代最高峰の舞台「高円宮杯U-18プレミアリーグ」昇格を決める試合で華麗なゴールを挙げるなど活躍。「第94回全国高校サッカー選手権大会」での飛躍に手応えを得ていた。
「高校3年当時の自分はロアッソ熊本とアビスパ福岡の練習に参加するなど、プロに行ける自信がありました。今考えると絶対に無理だったと思うので、『大学へは行かない』と言っていた自分を、大津の平岡和徳総監督が何とか話をつけて練習参加させていただけたのだなと思います」
高卒でのプロ入りが叶わなかった吉武は、関西学生サッカーリーグ2部に所属する大阪産業大学へ進学する。
「高卒でのプロ志望だった自分は最後の選手権で結果を残すことで、Jクラブからのオファーを待つことにしました。選手権は初戦(2回戦)で敗退してしまったのですが、自分は大会優秀選手に選出されました。最終的にドイツ遠征に参加する高校選抜のメンバーには残れなかったのですが、そこを目指すことで最後までオファーを待っていた自分に、大産大の方々からは学費も全額免除の待遇で、『最後までプロを目指していいからね』と、温かい言葉をかけ続けていただきました」
大産大での4年時には関西1部に昇格できたものの、吉武のプロ入りは叶わなかった。さらに彼が大学卒業を控えていた2019年末から2020年にかけての期間はコロナ禍へと突入するタイミングだった。
波瀾万丈の3年間
九州リーグのFC延岡AGATA時代の吉武選手。写真提供:FC延岡AGATA
「大学時代にJ2やJ3の多くのクラブに練習参加させていたきだき、手応えを感じていた自分はJFL(実質4部のアマチュア最高峰リーグ)も考えていませんでした。それでもJクラブからのオファーがなかったことで、家族とも相談して地元へ帰り、大学卒業を機にいったんサッカーを辞めていたんです。でも、その数日後に延岡のチームからお話をいただき、続けることにしました」