2位:ピート・カイザー
アヤックス所属:1961~1974
ヨハン・クライフとともにアヤックスの「トータル・フットボール」を支えた左ウイング。1961年に下部組織から昇格してデビューし、若くしてインサイドアタッカーのレギュラーを獲得したものの、カップ戦でヘディングシュートの際に頭蓋骨を骨折する大怪我を負う。
二度と意識が戻らないかもしれないという怪我から8ヶ月ものリハビリを経て奇跡の復帰を果たすと、リヌス・ミケルス監督によって左ウイングにコンバートされた。それからアヤックスのワン・クラブ・マンとしてプレーし続けた。
1974年にハンス・クラーイ監督との確執をきっかけに引退するとサッカー界を離れたが、2001年にはアヤックスでスカウトとして復帰。更に技術顧問や名誉会員として活動し、2014年からは代理人として会社を設立していた。2017年に肺がんのため死去している。
同年代のヨハン・クライフのほうが有名であるが、クライフ自身も「彼は理想のウインガー」と評価した名選手だった。1973年にアヤックスの選手に「キャプテンを誰にするか」と無記名投票を行ったところ、クライフを上回る得票を得たことも。