――三菱養和はどういった部分を重視しているチームだと今思い返して感じます?
本当にサッカーとして一番基本的なこと、チームとして協力することやチームの中でも和を養うというチームだと思います。仲間と協力するといったところが一番売りのチームというか。
――三菱養和では高校2年生の時、クラブユース選手権で優勝しました。1学年上には相馬勇紀選手(現カーザ・ピア)やディサロ燦シルヴァーノ選手(現湘南ベルマーレ)がいましたが、相馬選手は当時どんな選手でした?
速い。とにかく速いというイメージですね。
――養和のグラウンドは本当に巣鴨駅のすぐそばにあります。当時の思い出などは?
基本的にいつも練習が終わったあと、とくに土日は駅前にあるファミレスや定食屋さんで御飯を食べて帰るとかそういうのがありましたね。
ジュニアユースの頃なんかは練習後、土日だとそのまま池袋や上野へ遊びに行ったり、色々していました。
「明治大での4年間」「筑波の三笘薫」
――2016年に明治大へ入学しました。進学先に明治を選んだ理由は?
僕自身、高卒でプロになりたい気持ちがあったので、大学という選択肢を最初は持っていませんでした。
ただ、僕が高2から高3になるタイミングでU-18の日本代表候補にも入ったり、クラブユースで優勝したことによってサニックスカップにも出られたので、そこで当時明治のスカウトだった井澤(千秋)さんに声を掛けていただきました。
最初僕はお断りしたんですけど、2度目も足を運んでいただいて。「練習だけでいいので」と言っていただき、練習参加した時に肌で感じた部分が、そのまま僕が明治に入りたいなと思わせるような環境でした。
僕が行った時、今チームメイトの瀬川(祐輔)くんもそうですけど、和泉(竜司)さん(現名古屋グランパス)とかがチームにいて、この人たちがプロへ行くタイミングでプロになって通用するのかと考えた時に「これは無理だな」と思ったんです。
そこで、この明治の環境が4年間で自分を強くしてくれると感じたので決めました。