Jリーグ史上最強のチーム鹿島アントラーズを率いた石井正忠監督は、昨年11月23日にタイ代表指揮官に就任した。

1999年にアカデミーのコーチから指導者キャリアを始め、2017年5月まで常勝軍団鹿島を約19年支え続けた。

Jリーグ、天皇杯、ルヴァン杯を制覇し、2016年に開催されたクラブワールドカップではJリーグクラブ史上最高成績となる準優勝へ導いた。

2021年からタイ1部ブリーラム・ユナイテッドの指揮を執り、2年連続で国内三冠(リーグ、協会オープンカップ、リーグカップ)を達成して前人未到の金字塔を打ち立てた。8月13日にタイ代表のテクニカルディレクター(TD)へと就任するも、9月18日に退任した。

紆余曲折を経てタイ代表に指揮官に就任した石井監督をQolyがインタビューを実施。

第5弾は新天地タイでの挑戦、タイと日本の違い、そしてサムットプラカーンで流した涙と多くのエピソードを語った。

※諸事情により1年前に取材した内容を掲載いたします。

(取材日2023年6月15日)

タイ挑戦を決めた経緯

――休養後はタイ1部サムットプラーカーンの監督に就任されました。初の海外挑戦になりましたけど、家族の存在をすごく大事にされている石井監督が、なぜタイ挑戦を決意したのでしょうか。

まず家族も「できれば日本で監督をやってほしい」という想いは当然ありました。でもなかなかオファーがないなかで、サムットプラーカーンが僕にオファーをくれました。話が進んでいくなか、1度お断りしたんですよ。

でもそのあとも、僕の代わりの日本人監督に対していろいろアプローチをしていたらしいんですけど、そこでも決まらなかったそうです。僕も日本のクラブからのオファーがなかなか来なかったので、もう1度サムットプラーカーンの関係者に連絡して、「日本人の監督は決まりましたか?」と聞いたときに「実はまだ決まっていないんです」と返ってきました。

でも「石井さんに来てほしいとクラブは考えていますよ」と話をいただきました。その間にたまたま『FOOT×BRAIN』(TV東京系)という番組でタイのサッカークラブの事情を取り上げてくれていて、日本人指導者が活躍している内容を家族が見ました。「タイで思い切ってチャレンジしてみたら」と家族も言ってくれたので、そこで決めました。それがきっかけですね。