【15歳の決断】福井太智らとの出会い→大分へ

福岡県出身の保田は5歳から本格的にサッカーを始め、福岡市にある少年サッカークラブ「FC J-WIN」でプレー。中学進学時からは近年の育成年代の大会を軒並み制覇しているJ下部の強豪・サガン鳥栖U-15に加入した。

「実は鳥栖と同時にアビスパ福岡のセレクションも受けていたのですが、育成年代において、よりレベルの高い鳥栖を選択しました。小学生の頃の自分はチームでは点を取りまくっているエースという感じだったので、怖いもの知らずのまま飛び込みました」

鳥栖のアカデミーにはクラブに根付いた一貫したゲームモデルがある。そのモデルに沿ったプレースタイルをもつMF福井太智(現バイエルン、ポルトガル1部のアロウカへレンタル移籍中)が同期にいたこともあり、鳥栖での保田は主役にはなれなかった。

他にも1つ上の先輩に中野伸哉(ガンバ大阪)、同期にも楢原慶輝(鳥栖)や浦十藏(愛媛FC)、後輩には堺屋佳介(鳥栖)らが揃ったチームは、保田が3年時の『日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会』などを制した。

「小学生の時は前線のフリーマンのような役割を与えられていて、鳥栖に入ってからはシャドー、時にはボランチ。完全にボランチに固定されたのは大分に入ってからです。鳥栖ではボランチに(福井)太智、1つ前のポジションに(楢原)慶輝がいて、彼らとポジションが被ることもあり、試合に出られない時期も長くありました。

凄くレベルの高い代でしたし、自分は中学の頃はまだ身体も小さく、フィジカル面でも追いついていなくて、初めての挫折を経験することになりました」

※年末の『高円宮杯 JFA 第31回全日本U-15サッカー選手権大会』でも準優勝したサガン鳥栖U-15。準決勝のヴィッセル神戸U-15戦(3-1で勝利)、15番をつけた保田は66分からピッチに立った。10番のキャプテンが福井太智。

保田は中学卒業のタイミングで大分トリニータU-18へ加入。鳥栖には実家から通っていたが、大分では寮に入り、プロサッカー選手になるための“越境”を決断した。

「鳥栖ではU-15からU-18へ昇格するかどうか、本人の希望やクラブからの評価を聞くための面談をするんですけど、すぐに昇格が決まる選手もいれば、可能性がないと言われる選手もいます。

自分の場合は“保留”になっていて、面談も回数を重ねました。U-18には太智や慶輝が昇格するだけでなく、他のクラブからも良い選手が入ってくることも聞いていたので、自分はプロになるための選択として他のクラブを探そうという決断に至りました」

保田が中学3年となった2019年当時、大分はトップチームが斬新な戦術“疑似カウンター”でJ1復帰初年度ながら旋風を巻き起こし、上位争いを展開。夏場に主力を引き抜かれて9位に終わったものの、監督の名前から拝借した“カタノサッカー”は2021年度の天皇杯準優勝に至るまで、クラブに2度目の黄金期をもたらした。

「その頃の大分は現在の監督でもあるカタさんが指揮されていて、魅力的なサッカーをしていましたし、鳥栖にも大分の練習に参加することは伝えていました。それでもギリギリまで決まらなかったのですが、最終的に大分に拾ってもらったような格好になりました」

保田が大分加入を決めた2020年の初頭はコロナ禍が始まった時期でもある。

社会的にも混沌とした難しい時を乗り越えた保田は、高校2年の夏に天皇杯でトップチームデビュー。高校3年で迎えた2022年にはリーグでも8試合(先発7)の出場機会を経て、正式にトップ昇格を勝ち取った。

「大分では福岡から入寮したタイミングで隔離になり、チーム全員で練習ができたのは6月になってからでした。U-18では本当に大きく成長させてもらえたと思っているのですが、天皇杯でデビューした頃はまだ全然でしたし、他のU-18の選手の方が評価も高かったと思います。自分の場合は高校3年になってからの数カ月で一気に成長した自負があります」

運命的な出会いもあった。2021年7月、保田の憧れであるMF梅崎司が大分に復帰することになったのだ。当時の背番号も保田が26番、梅崎が27番(現在は7番)。練習場のロッカーも隣だったのではないかと想像できる。

「自分は小学生の時から『やべっちFC』(テレビ朝日)を必ず観ていたので、梅さんのことは浦和レッズでプレーされていた頃に知りました。梅さんの本(※『15歳 サッカーで生きると誓った日』著者:梅崎司/出版:東邦出版)も読みましたし、今はチームメイトになれたのが嬉しくて、いろんなことを吸収させてもらっています」

【将来】海外でのプレーを目指し、英会話を勉強中

現在15位の大分はJ1昇格プレーオフ圏内の6位・レノファ山口FCとの勝点差が13。大きく引き離されているが、残り11試合の中には昨年まで大分を2年指揮した下平隆宏監督が率いるV・ファーレン長崎との九州ダービーもある。

10月6日に予定されているこの試合は、長崎の新スタジアム「ピーススタジアム・コネクテッド・バイ・ソフトバンク」(略称「ピースタ」)で初めて開催される試合として注目を集めるビッグマッチだ。

「残り試合が少なくなって来た中でも、まだ勝ち続ければプレーオフに滑り込むこともできると考えています。ただ、自分たちはまず、目の前の1試合1試合にどれだけフォーカスしていけるかだと思います。

シモさんには調子が悪い時にも、自分のことを信じて我慢して試合に使ってもらって、すごく成長させていただきました。だから、シモさんの長崎と対戦する頃には良い状態で迎えたいですね」

そして、川崎を撃破した天皇杯では8月21日(水)、ベスト8をかけてJ1・京都サンガF.C.をホームのレゾナックドーム大分で迎え撃つ。

「フロンターレさんに勝ったのは凄く大きなことですし、J1クラブ相手に良いプレーを見せることで、自分の価値を上げることもできます。カップ戦でここまでのチャンスはそうそうないと思うので、勝ち続けて決勝の国立まで行きたいですね」

9月21日から29日にかけては、主力として活動しているU-19日本代表がキルギスで開催される『AFC U-20アジアカップ2025予選』を迎える。

「日本を背負って戦えるのは、サッカーをやっている人間なら誰もが憧れる舞台だと思います。自分の最終的な目標は年齢制限のないA代表の日本代表としてW杯に出場することなので、それにつながる良い経験になると思います。

2021年にはU-17W杯が中止になりましたけど、当時の自分はまだまだ代表とは無縁の選手でした。それが今ここまで来れているのは素直に嬉しいことです。

ただ、前回のU-20W杯は本戦のメンバーに入れなかったので、そういう悔しい想いも忘れていません。自分は前回のアジア予選(2022年)を経験している立場でもあるので、そこは冷静にチームをまとめて戦っていきたいと思います」

代表活動が多くなってきた保田には当然、将来的な海外でのプレーも視野に入っている。そのための準備も順調のようだ。

「自分がリーガをよく観ていた頃はクラシコの盛り上がりやレベル的にもリーガが1番だったと思うのですが、今はプレミアが1番だと思うので、やっぱり1番レベルの高いステージで自分がどれだけやれるのか、挑戦したいという想いがあります。

実は今、将来的には海外でプレーしたいという目標のために、自分でお金を払って英会話を勉強しています。オンラインでの対話授業が週2,3回あって、課題も提出しないといけません。これが意外と大変なのですが、自分の将来のためにも、しっかりと勉強していきたいと思います」