皆さん、こんばんは。遅筆で悪名高い駒場野です(苦笑)。

2つ前のコラム、「 冬季五輪でフットサルを実施できるか?」で「次回はUCL」、つまりUEFAチャンピオンズリーグと書いたのですが、その次は「サッカーも『創世記』のメンバー? -日本外交の『ASEAN戦略』との連動」に。JFAからの記事お願いというメールも来ましたし、4月7日にQolyで私のコラムを公開した翌日の8日には、この時に来日したASEAN全加盟国に東ティモールを加えた11カ国のU-14男子チームが安倍晋三首相を表敬訪問した事が、首相官邸の公式TwitterとFacebookで紹介されていました。

Twitter:≪総理の動き≫
https://twitter.com/kantei/status/4534625915247165...

Facebook:「アセアン各国で活躍する青少年サッカー選手の皆さんとお会いしました。」
https://www.facebook.com/sourikantei/photos/a.3143...

そして、その後はちょっと私の「本職(?)」に時間を取られてしまい、気付けばもう土曜日がUCLの決勝戦になってしまいました。ですが、その前にどうしても書いておきたかった、あるクラブの話を。


それは思い違いから始まった

話は少し遡ります。

CSKAモスクワから来た本田圭佑は出られないとしても、ACミランはUCLでの優勝を目指していましたが、決勝トーナメント1回戦では1stレグをホームのサン・シーロで0-1と落とし、追い込まれていました。ただし、その相手、アトレティコ・マドリードの方がファイナルまで進むと予想した人も、ミランがそうなると思っていた人と同様に、決して多くはなかったでしょうが。

そして、集英社の「Sportiva」では、ミランのオフィシャル誌編集長、ステーファノ・メルガリ氏が執筆し、『ザッケローニ 新たなる挑戦』の翻訳なども手がけた利根川晶子氏が訳した記事が掲載され、これが@niftyでも配信されました。

『チームの不調が本田圭佑に影響。なぜミランはここまで弱くなったのか』
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sptv-2014...

ところが、この部分に読み進んだ時、強い違和感が。

「しかし過去のデータを見てみると、CLにおいてミランがホームで負けた場合、これまでただの一度しか次のステージに駒を進めていない。それも1995年、オーストリアのザールブリュッケンに対してだ。」

その後、ウェブ版の「Sportiva」では修正されました。「オーストリア」が「ドイツ」に。

チームの不調が本田圭佑に影響。なぜミランはここまで弱くなったのか(web Sportiva)
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/wfootball/2014/...

この修正がされる前、私が次にしたのは、「私が思い違いだった可能性を消す事」でした。

果たして、1994/95年のUCLで、ACミランはオーストリアのオーストリア・ザルツブルクと対戦しています。

両者の対戦結果はこの通り。出典はUEFAの公式サイトから。

1994.09.28
ミラン 3-0 ザルツブルク(サン・シーロ)
得点 ミ:ストロッパ(39)、シモーネ(60、63)

1994.12.07
ザルツブルク 0-1 ミラン(エルンスト・ハッペル)
得点 ミ:マッサーロ (27)

ミランはホームで快勝。最初「シメオネ」と空目しましたが(苦笑)、こっちはイタリア代表にも呼ばれたマルコ・シモーネの2得点でした。実はこの試合でサポーターのトラブルが起こり、ミランは勝ち点2、当時の1勝分を取り消され、もしアウェーで引き分けだったら敗退決定だったのですが、ダニエレ・マッサーロがピンチを救ってくれました。ザルツブルクは巡ってきたチャンスを生かせなかった訳です。

ミランはそのまま決勝に進みましたが、その舞台はまたこのオーストリアの首都ウィーンにあるエルンスト・ハッペルシュタディオン。そして相手のアヤックスはグループリーグで2連敗した相手でしたが、この決勝でもファン・ハール率いるこのオランダの強豪に0-1で敗れました。決めたのは19歳の新鋭、パトリック・クライフェルト……なのですが、もうお気付きですね?ミランとザルツブルク、そしてアヤックスは、決勝トーナメントではなく、グループリーグで対戦していたのです(残る一つはAEKアテネ)。

この時、自分の直感が正しかった事を確信しました。そして、「ドイツ」にした「Sportiva」の修正も不十分なのです。

という事で、今回はこちらのクラブ、「1.FCザールブリュッケン」のお話。


現在の1.FCザールブリュッケンのクラブエンブレム。

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