それから国際的には長く日の当らない時代を過ごしたが、後に代表でも指揮したエルナン・メドフォード、ブラジルから帰化したアレシャンドレ・ギマラエスらを擁し1990年イタリア・ワールドカップで初出場ながらベスト16を達成。アメリカ、フランス大会を逃した後、2002年の日韓大会で表舞台に復帰すると、2006年のドイツ大会と連続出場。前回南アフリカ大会はプレーオフの末にウルグアイに敗れ逃したものの、今回再び出場を手にし北中米ではメキシコ、アメリカに次ぐ3番手としてその地位を確立している。
コスタリカの国内リーグは2005年のクラブ・ワールドカップで来日したサプリサとアラフエレンセが2強を形成しこれまで代表に数多くの選手を送り込んできたが、近年は特に人工芝をホームスタジアムに持つサプリサの攻撃的なパスサッカーが代表チームのベースとなっている。メンバーは他の中南米諸国と同じくメスティソと一部の黒人より構成されており、ラテン的なテクニックと黒人的なパワーをミックスさせたダイナミックな攻撃が持ち味で、2002年大会などはそのスタイルゆえブラジルに大敗もしたが全試合で得点を記録し観衆を沸かせた。