最多得点チームに起きた変化
G大阪に攻撃サッカーのイメージが定着したのは、2002年から2011年までJリーグ史上最長10年の長期政権を築いた西野朗監督が率いていた時代だ。
就任時に稀代の司令塔・遠藤保仁(現ジュビロ磐田)、下部組織出身の橋本英郎(現FC今治)や二川孝広(現ティアモ枚方)が在籍しており、2006年から加入した明神智和(現G大阪ジュニアユースコーチ)を加えた「黄金の中盤」とも称された4人のMFと、“5人目のMF”の役目を担ったDF山口智(現湘南ベルマーレ監督)を軸にしたパスサッカーに特徴があり、どこからでもゴールを奪えるチームだった。
G大阪は2005年から2012年までの8シーズンで5回の最多得点チームとなっているが、残りの3回が全て川崎フロンターレだったのも興味深い。
川崎は2016年から2020年までの5シーズンでも4度、首位を走る今季も最多得点を記録している。その川崎はJ1へ2度目の昇格となった2005年以降、二桁順位は2011年の1度(11位)しかない。西野監督時代のG大阪もトップ3に8度入っているように、基本的に得点の多いチームは強いことが証明されている。
しかし、監督交代に翻弄された2012年のG大阪はリーグ最多67得点を挙げ、得失点差も「+2」を記録しながらJ2降格に至った。西野監督時代から失点の多いチームであったのは確かだが、ここで遂にメスが入ることになった。
翌2013年から長谷川健太監督(現FC東京監督)が就任して守備を整備し、J2を制して1年でJ1復帰。2014年にはJ1昇格初年度にも関わらず、J1リーグとJリーグヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)、天皇杯の3冠を達成する偉業を達成した。
しかし、守備に軸足を置いたチームはその傾向が強まり、2012年以降のG大阪は最多得点どころか年間60得点以上を挙げたことが1度もない。また、2007年にブラジル人の重戦車FWバレーが20ゴールを挙げて以降、シーズン20ゴール以上を記録した選手が1人もいないのだ。
ジュニーニョと大久保嘉人(現セレッソ大阪)、小林悠の3人が合計5回の得点王を獲得している川崎に対して、G大阪は2016年と2020年には二桁得点者すらいない。