グループH
ベルギー
ヨハン・ヴァーレム(当時30歳、スタンダール)
90年代のベルギーサッカーを代表する司令塔MF。
抜群のキック精度を誇る左足からのスルーパスは美しく、質実剛健な選手が揃う当時のベルギー代表においては異色の技巧派タイプだった。
日本
中山 雅史(当時34歳、ジュビロ磐田)
日本代表とJリーグを支えた魂のストライカー。9番を背負った1998年大会では、歴史的な日本のW杯初ゴールを決めた。
中村俊輔の落選もあり、“精神的支柱”としての滑り込み選出だった2002年大会は10番を着用。中田ヒデなどから「似合わない」とからかわれている。
ロシア
アレクサンデル・モストヴォイ(当時33歳、セルタ)
攻撃的サッカーで当時のリーガを席巻していたセルタの中盤に君臨した天才MF。
センスの塊のような圧巻のスルーパスは惚れ惚れするものだった。リーガファンにはお馴染みの存在だったが、W杯での対戦が決まったことで日本での知名度が一気に上がった。
チュニジア
カイス・ゴドバヌ(当時26歳、エトワール・サヘル)
チュニジア代表史上4位となる95試合に出場したレジェンドMF。
中盤の底でゲームを作るプレーメイカーだったが、守備も悪くなく、ヘディングも巧く、両足から繰り出すミドルシュートも精度が高い実力派だった。