もがき続けた2020年、ガンバ大阪U-23への感謝
大卒1年目の黒川は、「もがき続けていた」。日本代表経験があり、絶対的な存在だった左SB藤春廣輝が欠場する際、代役には急遽MF福田湧矢がコンバート起用されるほど、トップチームでの出場機会は限られた。
しかし、主戦場となったJ3リーグを戦う「ガンバ大阪U-23」での1年が彼を変えた。なお、2020シーズン限りで解散となったU-23は、MF堂安律(フライブルク)やFW中村敬斗(スタッド・ランス)ら、現在の日本代表選手を輩出している。
「自分は大卒で加入しましたし、4年生の頃から特別指定選手としてルヴァン杯やJ1の試合にも出場させてもらいました。だからこそ、1年目から即戦力として活躍して、東京五輪にも出場するという目標をたてていたんですけど、それとはほど遠い現実に直面しました。
クラブも大卒の選手は即戦力として獲得しているはずなので、U-23でプレーしていることには悔しさだったり、歯がゆさだったりも感じました。それでも、シーズン中は年間を通しても練習試合を組める回数が限られる中、J3という公式戦を戦えるのは大きかったです。
当時のU-23を指揮された森下仁志監督(現在、JFLの高知ユナイテッドに派遣中)は、僕の心中も察して、『圭介は絶対にJ1で活躍できるから』と、厳しくも愛のある指導をいただきました。もがきながらも頑張れたのは、そういった環境や指導者に恵まれたからだと、今でも感謝しています」
ゲームメイク型SBに必要な「間接視野」
SBながらゲームメイクにも関わる黒川の視野の広さは、「間接視野」がベースとなっている。写真提供:ガンバ大阪
黒川は中学3年時、「スピードがあって、左利きであること」を買われて左SBにコンバート。ただ、もともとはトップ下やFWなど得点に直接絡むポジションを担っていたからだろう。タッチライン際をアップダウンするだけでなく、内側へ攻撃参加して華麗なスルーパスを通して見せるなど、SBながらゲームメイクにも深く関わっている。
「コンバートには最初少し抵抗はあったんですけど、素直に受け入れられました。対人守備やボールが逆サイドにある時のポジショニング、1列前のサイドハーフとの連携など、今までやったことがないことだらけでした。
でも、自分の前にスペースが拡がっていて、前に攻撃参加で上がっていけるという感覚はこのポジションにしかない。そこにSBの面白さを見出しました」