――移籍1年目の2022シーズン、リーグ戦出場は13試合でした。これだけ出られないのは正直想定外でしたか?

そうですね。あまり自分の中で思い描いていたようなシーズンではなかったです。

――なかなか出場機会を得られないなかでどういったことを考えていました?

チームも3連覇を目指している難しいシーズンではありました。

今の環境とは全く違うような状況がチームの雰囲気にもありましたし、目指しているところも大きさも違ったので、新しく入ってきた自分ができることもそうですが、「チームに染まろう」という気持ちが先行してしまっていた部分が自分の中にありました。

そこがなかなかうまくいかなかった要因かなというのと、逆に試合に出られていない時期には、やっぱりもっと自分のストロングや逆に足りない部分を磨こうと思って。フロンターレであれば「止めること」などの練習は常にやっていました。

――そうした時期、鬼木達監督とのコミュニケーションはうまくいっていました?

コミュニケーションは取っていましたけど、正直あまり納得はいっていなかったです。

――その辺りが反骨心につながった部分も?

選手なら試合に出たいのはもちろん当たり前なので、監督が求めていることプラス自分のやりたいことの中和というかそういうところが当時うまくいっていなかったと感じています。

受け入れることはもちろん100で受け入れていましたし、オニさんが言っていることに関して納得がいっていないとかそういうことでもありません。自分の現状に対して納得がいっていませんでした。

(鬼木監督と)話をしながら、自分のことを見てくれているのは分かっていました。

逆にどう自分がそれを気付かせるかと言ったらあれですけど、自分を使ってもらえるように取り組んでいくかというところに納得がいけてなかったので、そこを昨年(2022年)1年間は出し切ることができなかったなと今は思っています。