ブライアン・ロブソン
率いたクラブ:ミドルスブラ、ブラッドフォード、WBA、シェフィールド・ユナイテッド、タイ代表
監督としての成績:173勝127分176敗
勝率:36.34%
マンチェスター・ユナイテッドの伝説的なキャプテンであったブライアン・ロブソン。ロイ・キーンに引き継がれた強烈なリーダーシップを持ち、勝者のメンタリティをチームに注入した男であった。
ただ、それはロイ・キーンと同じく指導者としては生かされていない。最初のミドルズブラでは選手兼監督としてプレミアリーグ昇格を成し遂げたものの、後に降格の危機となった際に選手を公に批判し、残留には成功したがチームを去ることになった。
それから3部のブラッドフォード・シティで4部に降格し、WBAでは稲本潤一らを指導したもののプレミアリーグで最下位になり、シェフィールド・ユナイテッドでも成績不振で解任に。
タイ代表ではなんと東南アジアの王者を決めるスズキカップで2分け1敗とグループステージ敗退に終わってしまった。これはタイにとって14回出場した大会の歴史上最悪の結果で、未勝利なのはこの1回だけである。
フランク・ランパード
率いたクラブ:ダービー・カウンティ、チェルシー、エヴァートン
監督としての成績:81勝44分71敗
勝率:41.3%
ダービー・カウンティで監督としてのデビューを飾ったフランク・ランパード。若い選手たちを古巣のチェルシーから借り、メイソン・マウントやタミー・アブラハムの才能を開花させ、昇格まであと一歩と迫った。
その弟子たちが戻ったチェルシーを率いた際には、補強禁止処分を受けたチームをチャンピオンズリーグ出場に導くなど成功を収めるも、2年目は低迷。9位まで落ちたことで2021年1月に解任された。
その後エヴァートンでも残留争いに巻き込まれ、2023年1月に解任。そしてその3か月後には低迷するチェルシーに呼び戻されたが、11試合で1勝しかできず。監督としてのキャリアを重ねるごとに上手く行かなくなっている。
ローター・マテウス
率いたクラブ:ラピド・ウィーン、パルチザン・ベオグラード、ハンガリー代表、アトレチコ・パラナエンセ、レッドブル・ザルツブルク、マッカビ・ネターニャ、ブルガリア代表
監督としての成績:71勝35分47敗
勝率:46.41%
ドイツ代表で150試合に出場した超名選手のローター・マテウス。ピッチ上ではその激しい性格でカリスマ性ある闘将として活躍し、類稀なほどのリーダーシップを見せた。
当然指導者としても期待されてはいたが、2001年にラピド・ウィーンの監督に就任すると8位に低迷して解任に。それから様々なクラブや代表チームを率いたものの、ほとんど成功することができなかった。
唯一レッドブル・ザルツブルクではリーグ優勝を果たしているものの、その際にはあの名将ジョヴァンニ・トラパットーニとの共同で指揮をとっていたため、評価がかなり難しい。
ディエゴ・マラドーナ
率いたクラブ:タクスティル・マンディユ、ラシン・クラブ、アルゼンチン代表、アル・ワスル、フジャイラ、ドラドス、ヒムナシア・ラ・プラタ
監督としての成績:67勝31分42敗
勝率:47.86%
そして世界最高の選手であったディエゴ・マラドーナも、監督としてはそれほど大きな成功を収められなかった。もちろん彼が指揮をとることによってメディアからは半端ではないほどの注目を集めたが…。
引退後元同僚のカルロス・フレンとともに監督のキャリアをスタートさせ、アルゼンチンの国内リーグで失敗。それから長く現場を離れたが、2008年にアルゼンチン代表監督に就任。ワールドカップに出場して準々決勝敗退となっている。
それからUAEのアル・ワスルとフジャイラを率いたがどちらでも成績を残せず、メキシコ2部のドラドスでも昇格を手にできず、2019年にはヒムナシア・ラ・プラタの監督に就任するも2020年に健康状態の悪化で死去。結局指導者としての成功には至らなかった。