福島での戦力外通告からオーストラリアへ挑戦
2021年の11月に福島から契約満了を受けた青山は、その年のJリーグ合同トライアウトに参加した。
しかし、1シーズンほとんど試合に出場していなかったブランクは想像以上に大きく、トライアウトでのプレーでオファーをもらえなかった。
Jリーグでの挑戦に終止符を打った青山は2022年にシドニーへ渡豪し、オーストラリア2部相当のNPLに所属するブラックタウン・シティFCへ移籍した。
NPLはセミプロリーグのため、平日は働きながら週末のリーグ戦を戦う必要がある。
そのような厳しい環境のリーグで、青山は復活を果たす。
持ち前の足下のスキルと左足のキックの精度を武器に、ブラックタウンの司令塔として活躍。
移籍初年度で、ボビー・チャールトン(FW、元イングランド代表)もプレーした古豪をNPL制覇に導いた。
その後、同リーグのマルコーニ・スタリオンズで1シーズンプレーし、今シーズンからAリーグ・メンのパース・グローリーへ入団。
NPLからAリーグ・メンへのステップアップは、日本人選手では14年ぶりの快挙だ。
――福島ユナイテッドを退団後、オーストラリアへ渡りました。
「もともと海外に行こうと思っていました。コロナで3ヶ月間休んだときに、今季で契約が切れることは分かっていたので。
Jリーグ合同トライアウトではオファーはもらえず、僕の知り合いがいろいろ助けてくれて、地域リーグのクラブからオファーをもらいました。
そこで1年間プレーしてJリーグに戻ろうという話をしてくださいましたが、1年プレーしても海外へ行きたい気持ちは変わらないだろうし、Jリーグに戻ることは簡単じゃないと思ったので、海外挑戦を決意してオーストラリアへ行きました。
ワーキングホリデーに参加して、現地でブラックタウン・シティのトライアルを受けて契約に至りました」
――オーストラリアに行ってチームや環境にアジャストするために苦労はありましたか。
「言語が違うのでコミュニケーションが取れない。でもプレーで示さないといけないと思っていたので、とにかくすごく必死でしたね」
――初めてオーストラリアへ渡ったときと現在ではオーストラリアのサッカーのイメージは変わりましたか。
「あまり変わってないですね。フィジカルでボンボン蹴るみたいなイメージだったので。
でも、若い選手はレベルが上がってきているなと思います。上手い選手もいるし、身体(の強さ)だけじゃなくてボールを扱える選手も増えてきているなと感じました」
――サッカー選手として活躍されている傍ら、プライベートサッカーコーチをしていました。コーチを始めた理由を教えてください。
「ブラックタウンのときからやっていたんですけど、マルコーニの1年目から本格的にやり始めました。
というのも、ブラックタウンとマルコーニはNPLというカテゴリーで、セカンドディヴィジョンなのでセミプロフェッショナルなんです。プロサッカー選手じゃないので、みんな仕事をして練習に来ます。
だから仕事をできる時間もあるし、週3回しか練習がなくて時間もあったので、将来のためにも自分から始められることは何かなって思ったときに、いまはサッカーが一番できるから『コーチをやってみるか』と始めました。いまはやっていませんけどね」
――今後、日本や他の地域で(コーチ業を)やってみたいと思いますか。
「ビジネスには興味があって、その経験として(コーチ業を)立ち上げた感じだったので、日本でもやれたらいいですね。
どうなるかはわかりませんが、何かしらはやってみたいですね」