エル・ハジ・ディウフ
クラブ:ランス、リヴァプール、ボルトン・ワンダラーズなど
ディウフはとても評価が分かれる選手だった。2002年の日韓ワールドカップでフランス代表を撃破するなど大きなインパクトを残したあと、リヴァプールへとやってきたセネガル代表MFだ。
当時リヴァプールの中心選手だったジェラードは「彼はサッカーにもクラブにも興味がないように見えた。軽蔑的で悪意に満ちた態度があった」と振り返っており、チームメイトとの衝突が絶えなかった。
その一方でボルトン・ワンダラーズでは一定の活躍を見せており、選手としての技術や能力に関しては誰もが認める部分でもある。
ミド
クラブ:アヤックス、ローマ、トッテナムなど
エジプトの歴史上最も才能があったといえるストライカー、ミド。サッカーにおけるフィジカル、テクニック、スピード、体格を兼ね備えていながら、非常に気難しい人物でもあった。
エジプト代表のハッサン・シェハタ監督とは試合中にも口論を重ね、アヤックスではイブラヒモヴィッチと大喧嘩し、ハサミで危うく刃傷沙汰になりかけた。
引退後はなんと37歳で体重が150kgに達し、深刻な糖尿病になりかけていたというが、その後のリハビリによって大幅な減量に成功している。