イングランドとワールドマーケット

“ウィンブルドン現象”とは、市場経済における「自由競争による淘汰」を意味する。自由な競争が進んだため、市場そのものは隆盛を続ける一方で、元々その場にいて「本来は地元の利を得られるはずの者」が敗れ、退出する、あるいは買収されることを指す用語である。語源としてはテニスのウィンブルドン選手権。伝統ある同選手権では世界中から参加者が集まるために強豪が出揃い、開催地イギリスの選手が勝ち上がれなくなってしまったというネガティブな状況にある。

このことが近年のプレミアリーグに該当していることは、具体的な数字と共に度々報じられている。92年のリーグ発足時、開幕戦に出場した国内選手数は177名。全体の73%であったのに対し、昨年2013年の開幕戦には75人の34%にまで減少している。しかし20年の間、イングランドはおろか、欧州全土におけるフットボールを囲む環境は激変している。もちろん私はこれについて分析、意見しコラムを書くつもりなどない。私の貧しい知識とデータ量など、プロフェッショナルには程遠いものであり、それは一流の方々の前に意見するものではない。ここでは皆様に、この2つの数字、74%と34%という事実のみを把握して頂きたい。ただ、この現実を「イングランドフットボールの発展」の足枷であるとし、新たな規定の設立を求めて声を上げたリオ・ファーディナンドの姿は頼もしかった。彼の声で広まった人種差別運動、数年前のホワイトバンド・プロジェクトを思い出し、私は「彼らしいな」と感動を超えた安堵を覚えたものだ。

私は断じて人種主義者でも民族主義者でもないが(“ナショナリズム”という言葉と混同して考えないでいただきたい)、イングランドのクラブである以上は、イングランド人が主役であるべきでは、という考えは持っている。スペインの2強を見ても、ドイツの2強を見ても、自国の選手・同じ下部組織出身の選手たちが並ぶ姿は壮観に映る。そしてなによりもそれが“強さ”に繋がっていることも否定はできないだろう(それは結果としてナショナルチームにも反映している)。プレミアに話を戻せば、ほとんどのクラブにおいてそれは失われているように思える。今季のスパーズや昨シーズンのニューカッスルの失敗、反対にエヴァートンやサウサンプトン、なによりもリヴァプールの成功は分かりやすいケースだろう。そして、我らがマンチェスター・ユナイテッドも、自国のプレーヤーが豊富なクラブといっていいはずだ。

そのバランスが崩れたきっかけが、カルチョ・スキャンダルにあることに、深い説明は不要である。カルチョを席巻してきたスタープレーヤーが国外に流れ、欧州の相関に変化が生まれた。私の感覚では、その頃からプレミアにおける“ウィンブルドン現象”の流れが始まったように思える。