いよいよ「アメリカA代表」としての肩書きも付き、一層の飛躍が期待されたウッド。しかし、ここから彼にとって“波乱万丈"といえば大袈裟だが、試練と言える時間が始まる。

2013-14シーズンも2部で開幕を迎えた1860ミュンヘン。前シーズンで結果を残していたウッドは序盤、何度か先発の機会を与えられる。しかしここで結果を残せず控えに降格。少しずつ順位を下げることに危機感を抱いたクラブは、当時、J1・鹿島アントラーズに所属する日本代表、大迫勇也に白羽の矢を立てたのである。

当時、11月に行われたオランダ戦でゴールを決めるなど、柿谷曜一朗 (現バーゼル)と1トップのポジションを争っていた大迫。彼はW杯までの成長を誓い、本番僅か半年前のこの時期に危険覚悟で海外での挑戦を望んでいた。そして、クラブの求める人材と大迫の希望が合致し、2014年1月7日に正式加入を果たしたのである。

1860の当時の指揮官、フリートヘルム・フンケル氏は大迫のポジションを確約。当然、結果を残せていなかった別のFWは出場機会を減らすこととなり、ウッドもまた例外ではなかった。

短い時間のなかでウッドは大迫と「日系2トップ」を組み、アシストを記録することもあった。しかし結局このシーズンは無得点に終わり、ブラジルW杯には特に話題に上ることもなく逃すこととなったのである。

大迫と抱き合うウッド(左)

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