トニー・メオラ

1990年代のアメリカ代表のゴールマウスに君臨した守護神。

彼の父親はイタリアからの移民で、祖国ではサッカー選手としてプレーしていた。その父からサッカーを教わったというメオラだが、高校ではバスケと野球でも大活躍。

185cmと決して大柄ではなかったが、MLBニューヨーク・ヤンキースからドラフト指名されるほどのズバ抜けた運動能力を持っていた。

ただ、彼は大学進学を希望したために入団はならず。それでもバージニア大学では野球を4年間プレー。3年間はセンター、1年間はキャッチャーとして活躍し、最終学年では打率.455、HR8本、打点36をマーク。強肩でもあったらしく、当時のコーチは「州でも最高の野手だった」と絶賛している。

MLBのイタリア移民といえば、野茂英雄がプレーしたドジャースの指揮官ラソーダ氏やピアッツァが有名であるが、もしかしたらメオラも彼らのようになっていたかも?

GPAで3.4を記録するなど学業のほうでも優秀だったほか、NFLニューヨーク・ジェッツのキッカーになろうとしたこともあったそう。本当にスポーツ万能だったようだ。