近代サッカーに適応した元ファンタジスタ

1990年代、「ファンタジスタ」というイタリア語が日本では流行した。

日本と現地イタリアではややニュアンスの異なるものであったが、一般的には創造性あるプレーで観る者を魅了する選手に付けられるもの。

ちょうど『キャプテン翼』でいうところの主人公・大空翼と重なったこともあり、折しもこの時代に日本からは中田英寿や中村俊輔のようなトップ下が多数生まれた。

しかしながら世界において、時代はまさに現代サッカーへと移行する過渡期にあった。

チームとして扱い辛さもある古典的なトップ下やファンタジスタは居場所を失いつつあり、実際、この時期に何人もの選手が時代の流れに抗えず姿を消している。

デビュー当時、最上級のテクニックと創造性で見る者を魅了したデル・ピエロも例外ではなかった。

しかし彼には予期せぬ転機があった。1998年に左膝十字靭帯断裂の悲劇に見舞われてしまったのだ。以降の彼はかつてのような輝きを失い「終わった選手」とのレッテルを貼られたが、2001-02シーズン、16ゴールを記録し完全復活を遂げる。

ただしその姿は、かつて人々を魅了したファンタジスタとしての彼ではなく、より実用的で、より得点に特化したアタッカーとしてのデル・ピエロであった。

それ以前に一度だけだった二桁得点は、退団までに七度も記録している。ケガの功名かもしれないが、時代の変化に適応した柔軟性は特筆すべき点だろう。

そして彼の成功に合わせるかのように「ファンタジスタ」という言葉は国内外において死語となっていく。「ファンタジスタ」に生まれたデル・ピエロが、自らの手で「ファンタジスタ」を葬り去った…そう表現することもできるのではないだろうか。