日大藤沢高で成長を遂げた猪狩だったが、後にJ1ジュビロ磐田で活躍するMF植村洋斗(ひろと)が1学年上にいたため、思ったような出場機会を得られなかった。最終学年ではコロナ禍の影響や負傷もあり、大舞台で結果を挙げられなかった。

高校卒業後は産業能率大(以下産能大)へ進学。取材時にはコーチ陣からいじられていた21歳は、同大で傑出した活躍を見せてプロから注目される存在へと進化した。

関東大学1部の選手たちと差はない

――その後、産能大に進学された理由を教えてください。

「高卒でプロは無理だと感じていた中で、大学選びには困っていました。そんなときに自分の兄が産能大にいたこともあり、練習試合を組んでいただける機会があって、そこでスカウトしていただきました」

――なぜ大学選びに困っていたんですか。

「インハイ(全国高校総合体育大会)で結果を残して、1部リーグの大学に行きたいと思っていましたが、コロナで(大会が)なくなってしまいました。高校2年のときには植村くんとポジションが被っていて、なかなか試合に絡めませんでしたし、選手権のタイミングでも鎖骨を折ってしまった。結局、全国ベスト16の試合に少し出ただけで、経歴は何もないような状態だったからです」

MF植村洋斗(Getty Images)

――産能大に進学した際の心境を教えてください。

「産能大へ行くなら自分は大学1年からトップチームに入って、試合に出てアピールしなければいけないと思っていました。結果として大学1年からトップチームに入れて、計画通りに過ごせた。自分の努力をプロにつなげられたことが、大学生活で一番の自信になりました」

産業能率大学サッカー部提供

――産能大で伸びた部分を教えてください。

「もともとのストロングポイントだった足元の技術やチャンスメイク、シュートのパンチ力がより伸びました。特に一番は得点力のところで、ミドルシュートやクロスからのダイレクトシュートが自分の形になりました。

大学2年からレギュラーになって、さらに自信がつきました。U-20全日本大学選抜へ行ったとき、はじめは1部の選手たちと差があるのかもしれないと思っていましたが、実際にプレーしてみて『意外と差はないな』と感じました。大学3年のときは『自分が何とかしないといけない』と思っていた中で、得点王を取れて、7アシストを記録できた。チームの中で半分以上の得点に絡めたことで、『絶対にプロへ行ける』と思いました」