大学3年のリーグ戦終了後に、千葉から練習参加の打診を受けた。わずか2日間の練習参加だったが、猪狩の優れた才能と卓越した技術を強化部、スタッフは見逃さなかった。練習2日目の終わりに獲得オファーを受けた逸材は、悩みに悩んだという。
古巣川崎でのプレー、他のJ1クラブ加入の可能性など胸中にあったが、オリジナル10に名を連ねた名門の熱意にほだされていった。
千葉への加入を即決できなかった理由
――千葉への加入の経緯を教えてください。
「大学3年の関東リーグが終わったタイミングで、ジェフ千葉のスカウトをされている斉藤和夫さんから名刺をいただきました。そこから毎試合のように練習試合を観に来てくださって、今年の1月末くらいに『キャンプが終わったら、練習に参加してほしい』と話をいただきました。
ジェフがキャンプから帰ってきて、初めて行われる練習に2日間だけ参加させてもらって、そこで『オファーを出したい』といきなり言っていただきました。練習参加だけだと思っていたので、びっくりしました」
――オファーは他にもありましたか。
「気にしてくれているクラブの話は少しだけ耳にしていましたが、直接コンタクトをいただいたチームはジェフだけです」
――川崎に行きたいという想いもあったのでは。
「正直なところありました。ジェフに練習参加した2週間後に、具体的なオファーのお話があったんですけど、自分自身はちょうどそのときに開催されたデンソーカップ(デンソーカップチャレンジサッカー)が終わるまで考えさせてくださいとお願いしました。
フロンターレはもちろん、他のJ1クラブから声がかかるかもしれない。それなら挑戦してみたい、やりきりたいと思っていたからです。
でもデンソーカップでは毎試合のように出場できなかった。それでもカズさん(斉藤和夫)はずっと僕のことを気にしてくれたので、デンソーカップが終わったタイミングで自分の誕生日だった3月3日に『ジェフに行きます』とお伝えしました」
――葛藤があったんですね。
「焦ってフロンターレへ行って、試合に出られないことは避けたかった。まずは試合に出たかったですし、しっかりとジェフで力をつけたいと思いました。
ただそれ以上に、何回かスタジアムで試合を観に行ったときの、ジェフのファン、サポーターのみなさんの応援がとてもすごかった。フクアリ(フクダ電子アリーナ)の雰囲気、選手とサポーターが一体感を持って戦う姿勢は、どこのチームよりもすごいと感じました。
練習参加でも自分のプレースタイルを大いに生かせると感じましたし、環境がすばらしかった。『プロ1年目はここでプレーしたい』と思ってジェフに決めたあとは、もう迷いがなかったです」
――千葉の小林慶行(よしゆき)監督からはどのような言葉をかけてもらいましたか。
「小林監督からは『大卒は即戦力。練習に来たときは試合に出る準備をしてほしい。お客さんではないし、試合に出るための強い心を持つんだ』と言っていただきました」
――内定が出るまではどのような心境でしたか。それこそ大学3年の2月は就職活動も始まるころですよね。
「(就職は)まったく頭になかったですね。大学4年の最初が勝負だと思っていた中で、『あ、俺プロになれるんだ』と、早いタイミングで内定をいただけたことに驚きでした」
――ただ3月末にはケガを経験しました。
「ジェフに行くことが決まった2週後くらいに左ひざの内側靭帯をけがしてしまいました。それから6月ごろにようやくコンディションが戻ってきたタイミングで、同じ左足の足首をねんざしてしまいました。
半年間くらいはサッカーをできていませんし、リハビリのときは心が折れそうになったんですけど、チームメイトやスタッフからは『お前はプロが決まっているんだから、とにかく焦るな』と言ってもらえました。
そこからはジェフや産能大に恩返ししたいという気持ちが強くなって、プロでもっと強くなるための身体づくりをするなど、プラスに捉えていきました」