(中国の杭州緑城を率いたことについて)
Jリーグからいくつかのオファーはあった。だけど、それは僕にとって挑戦ではなかった。僕は新しいトライ、そして中国を望んだ。そこを知らないからね。
僕はそのころ、アメリカの作家の本を読んでいた。彼は『冷戦終結後に多くの人々が平和になるだろうと考えた』と書いていた。しかし東アジアには多くの小さな衝突がある。特に中国、日本、朝鮮の間に。
3人の子供がいるので、それを考えることは好きじゃない。我々は60年間戦争のない世を過ごしてきたが、経済が落ち込み、問題が生まれてきた。僕は子供たちのために何かをしたかったんだ。
国境はある。しかし、サッカーは新しい境界を作ることが出来るし、それを作らなければならない。
僕は中国に興味があった。大きな国だ。これから経済的にも政治的にも世界で最も大きな国になる。それを見たかったし、僕にとって大きな挑戦にもなった。
誰もが中国人と日本人は違うと言っている。中国のコーチでさえそう言っていた。しかし、僕はそうは思わない。僕らは人間であり、サッカー選手だ。
2年後、彼らは変わった。メンタリティが変わった。変えることが出来る。また、中国の社会が変われば、サッカーも変わるだろう。
(現在について)
妻も僕も60歳に近い。10年経って70歳。従って、10年間はまだ多くのことが出来る。僕はいつも自分のことを考えてきた。しかし、今後は妻のことを考えなければならない。僕らは将来について考えている。
Jリーグでは、監督は今皆僕のチームの選手だった者、コーチだった者ばかりだ。だから、僕がそこで働くというモチベーションはない。彼らは僕に勝つというモチベーションが出るだろうけどね。
また、代表チームに戻ることはない。絶対にね」