リオネル・メッシのもとでワールドカップ優勝を目指すアルゼンチン代表。
オランダ戦でプレーの粗さを指摘されたが、リオネル・スカローニ監督は「ギャング集団ではない」と反論していた。
そんなアルゼンチンのなかで壮絶な生い立ちをしてきた選手たちを調べてみた。
4番:DFゴンサロ・モンティエル
セビージャに所属する25歳の右サイドバック。
非常に苛烈な地域で育ち、7歳の時には隣人トラブルで祖父を殺されている。
「祖父は自分が7歳の時に死んだ。いつもおやつをくれたのをよく覚えているよ。
例えば、大好きなコカコーラを母にねだっても、お金がないと言われる。すると、祖父がお金を借りて、コーラを持ってきてくれた。どうやって支払っていたのか分からないけどね。
祖父はいつも僕を甘やかしてくれた。馬車を持っていて、スイカなんかの果物を売っていたんだ。一緒に売りに行ったことも覚えているよ。
馬が好きだったし、動物に夢中だった。最後はその動物たちを守るために殺されてしまった。
多くの犬も飼っていたんだけど、近隣の女性が犬を黙らせろと言ってきた。口論になった後、女は銃を手に戻ってくると、彼を3回撃った。病院に運ばれたけど、亡くなってしまった。
出所した女は銃撃の後に近所を離れ、二度と姿を見せなかった」
そんな彼は建築作業員の父と掃除婦の母を模範に育った。「(模範は)父親。彼が家族のためにしてくれたことをとても誇りに思っている。父は他の親のように監督を怒鳴ったりすることは決してなかった。僕と同じように寡黙なんだ。そして、いつも僕に寄り添ってくれた」と話している。
そんなモンティエルだが、友人2人を銃撃で亡くし、別の大親友も手術後のウイルス感染で亡くなった。
涙ながら、「そういうことがあると、試合でどんなつらいい負け方をしても、それ以上にもっとつらいことがあると気付かされる」、「家族のあの地区から連れ出したい」と語ったこともある。