トライアウトで輝きを放った男

11日午後の部に登場した選手の中で最も存在感を見せた男は髙岸だった。紅白戦で直接フリーキックを獲得すると、プレースキッカーを務めたテクニシャンは鋭い軌道を描くシュートをゴールネットに突き刺した。ゴール前でボールを受ければ緩急を生かした相手を置き去りにするドリブルでゴール前に迫るなど、独壇場といってもいいほどの輝きを放った。

切れ味鋭いドリブルでゴールへと直進する髙岸(右)

「本当に崖っぷちだったので、人生をかけてトライアウトに向けて気持ちを入れて取り組んできました。結果がどうであれ、まずはここから先にチャンスがあれば、本番で結果を出せるように気を引き締め直してやっていきたいと思います」と言葉に力を込めていた。

水戸ではリーグ戦11試合に出場するも、先発出場はゼロだった髙岸。そのうっ憤を晴らすかのように華麗なプレーで攻撃をけん引するも、トライアウト後の取材では「後半にもチャンスがあったので、それを決めきらないといけなかったことが自分の中ですごく悔しいです。でもフリーキックでは一つ結果、数字を残したのは自分の中で良かったです」と一喜一憂せず、冷静に自身のプレーを振り返っていた。

小学年代から中学年代まで川崎アカデミーで育った男はU-18へ昇格できなかったが、北信越の名門星稜高(石川県)で背番号10を背負うほどの存在に成長した。中央大を経て水戸へ渡っても、アカデミーで築いた絆は切れていなかった。

川崎アカデミーで後輩だったJ3ギラヴァンツ北九州MF高吉正真(しょうま)が先天性多合趾症(センテンセイタゴウシショウ)により、生まれつき足の指が6本と先天性異常に苦しんでいた。6本目の足指は幼少期に切除したが、先天性異常の影響により足幅が広かったため、自身の足にフィットするスパイクがなかった。自身に合うスパイクを探すためにSNSで呼びかけをすると、髙岸が知り合いのメーカーを紹介した縁で念願の足にフィットするスパイクを手に入れた。

Qolyの取材を受けた際に高吉は「本当に感謝しきれないです」と先輩に深く感謝していた。髙岸は「アカデミーに6年間川崎フロンターレにいて、サポーターの皆さんも温かくて、いまだに川崎家族だと言ってくれる方もいらっしゃいます。そういった意味では本当に同じチームにいた後輩が困っていたので、僕にできる限りのことをしました。僕がただスパイクのメーカーさんを紹介しただけなので、スパイクのメーカーさんに僕自身もすごく感謝していますし、高吉自身もすごく感謝していると思いますね」と笑みを浮かべた。

この日午前の部に参加したアカデミーの同期である小川、藤田ともトライアウト前日に再会した。髙岸は「昨日藤田と小川と直接話しましたけど、『もっとお互い頑張っていかなければいけない』と話しました」と励まし合った。

プレースキッカーを務めた髙岸

プロデビューした水戸での3年間は大きな財産となっている。自身を支えたサポーターの存在、成長を促してくれたクラブスタッフ、同僚と感謝が尽きない。新天地で結果を出して、水戸に恩返しをする決意を明かした。

「(水戸は)プロサッカー選手にならせていただいたチームなので、本当に感謝しかないです。プライベート、オフザピッチのところでもすごく成長させていただきました。自由にさまざまな取り組み、いろいろな活動に、クラブとしても後押ししていただいたので、この恩を結果で返したいと思います。

自分はいま厳しい立場にいますけど、必ずどこかでいままでいただいた応援や、サポートしていただいた感謝を結果で恩返しできるようにしたいです。自分自身も毎日サッカーに取り組んでいきたいです。いろいろなところから応援していただいて、自分の元にも届いています。応援を力に頑張っているので、これからも引き続き応援いただけたらと思います」とクラブ、水戸サポーターに感謝を伝えた。

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新天地に向けて「チャンスがあるところで自分が成長できるように、(必要とする)チームのためにやることを全力でやっていきたいと思います」と前を見据えていた。

川崎アカデミーの1999年生まれ世代は9選手がプロになっており、8選手がJリーガーとなった。高校卒業後のトップチーム昇格がゼロと不作の世代と揶揄(やゆ)されることもあったが、一人、一人がたくましく成長した。髙岸、小川、藤田は奇しくもトライアウトをきっかけに再会したが、次はJリーグの舞台で再会するシーンをこの目に焼き付けたい。

(文・撮影・高橋アオ、取材・高橋アオ、浅野凜太郎)

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